ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)はロンドンの中心地にキャンパスを構える。と言っても、いわゆるキャンパスがあるわけではなく、オフィス街の合間に教室が入るビル群があるだけだ。そのうちの一つ、小さなビルの2階。ポール・デ・グラウウェはこぢんまりとした、しかし学生の行き交う広場が見える明るい部屋で私とカメラマンを迎え入れてくれた。
デ・グラウウェは米国と欧州の大学で教鞭を執り、1991年から12年間、ベルギー連邦議会の議員も務めた。国際通貨基金(IMF)や欧州中央銀行にも在籍し、通貨同盟や金融政策に関する論文を多数発表している。近年は、著書『行動マクロ経済学講義』で行動経済学をマクロ経済学に応用した独自の経済モデルも提唱。ベルギーのルーヴェン大学の国際経済学教授を退職後、LSEの欧州政治経済学教授に就任した。
デ・グラウウェは我々が到着するとすぐに、自慢のコーヒーを振る舞うべく奮闘しはじめた。エスプレッソマシンは生憎壊れていて、コーヒーは飲めなかったが、その気遣いに優しい人柄が感じられた。
インタビューは穏やかな口調で始まったが、ものの数分で表情は険しくなり、デ・グラウウェは語気を強めて言った。
「残念ながら、我々は私が恐れていた方向、間違った方向へと進んでいます。それは想像より早く来ていると感じています」
インタビューの前、2018年10月には「ブラジルのトランプ」と呼ばれる極右のジャイール・ボルソナーロが大統領選を制したばかり。フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領や米ドナルド・トランプ大統領など、独裁的で過激な発言で知られるポピュリストの政治家が民主主義国家で力を強めている。
「資本主義を守るために、民主主義の力は不可欠です」
こう語るデ・グラウウェは、17年に「The Limits of The Market」の英語版を出版。フィナンシャル・タイムズのBest Books of 2017の経済分野の一冊に選ばれた。オランダ語で原著が版されたのは4年前。しかし、この本で描かれた「危機」は、今こそ現実感を持って読むことができる。
市場経済が生き残るために
デ・グラウウェの主張のポイントはこうだ。経済システムは市場と政府、両方のコントロールを受けており、完全に市場だけ、政府だけがコントロールする経済システムは成り立たない。経済システムは振り子のようなもので、市場に寄り過ぎると人々の反動が起き、過去には共産主義が誕生した。逆に、市場の弊害が大きくなると政府の介入が強まる。それを繰り返しながら、常にその間を揺れてきたという。
つまり、市場も政府もどちらかだけでは不十分で、そのバランスを保つことが重要だ。しかし、今、その振り子は市場に寄り過ぎており、経済システムが危機的状態にあると指摘している。