一般的な感覚では、NASAを退職するなど信じられないだろう。しかし、そもそも宇宙のミッションとは、未踏の領域で予期せぬ困難の「解」を瞬時に導き出すこと。仕事に安住はない。18年にソフトウェア開発のエンジニアとして入社した35歳のナット・ガイも、NASAのジェット推進研究所を辞めて来日した。ナットが言う。
「人工衛星には寿命があり、運用を終えるとデブリになるのに黙止されています。これまで宇宙探査に貢献してきたが、この問題解決に貢献したいんです」
人間には、いつ来るかわからない大津波に対して、見て見ぬふりをしたい人と、それができない人の2種類がいる。クリストファーとナットが「人類の未来のための仕事がしたい」と言うように、岡田のもとには世界から履歴書が届く。こうして各国政府は宇宙政策について、岡田を招いて意見を求めるようになった。もはや岡田はアウトサイダーではなくなったのだ。
今年6月、ウィーンで開かれた国連宇宙空間平和利用委員会の本委員会で、岡田は基調講演を行った。それを聞きながら、前出の元JAXAの飯塚は、「世界が新しい時代の宇宙開発にシフトしていると肌で感じた」と言う。11月にサービスを開始した準天頂衛星システム「みちびき」がその典型だろう。コネクテッド・カー、農機の自動化、物流、船舶、土木など、多くの産業がGPSを高精度化した「みちびき」を基盤に、新しいステージに移行していく。
一方、アストロスケールは大型デブリ捕獲衛星ELSA-dの技術実証を、2020年に軌道上で行う予定だ。将来的に顧客(人工衛星の所有者)の依頼を受けて、軌道環境の保全を確保する。現在、アストロスケールと協業する企業は100社を優に超える。
観測衛星の失敗はひとつの「点」でしかなく、「やらなければならないことが山ほどあり、創業以来、毎日が局地戦を闘っているようなものです。だから、正気でいることが大変なんです」と岡田は言う。
しかし、明らかにこの5年半で世界の方が変わった。冒頭で紹介した英国惑星間協会に、岡田に会いに中学生の少年が現れた。そのとき、岡田は思わず表情を変えた。3年前、イギリスに来た岡田に手紙を渡した、当時10歳の少年だったからだ。成長した彼は、今度は火星を目指す宇宙船の精密な設計を見せに来たのだ。
国連から少年まで彼に声をかける人は増え続けている。時々、岡田はチームが迷いをみせると、こう声をかけるという。
“We are doing a right thing.”
「Forbes JAPAN起業家ランキング」は今年で5回目を迎えた。TOP20の顔ぶれからは宇宙、メディア、Fintech、HR、医療、エネルギー、クラウド、ブロックチェーン、IoT、EC、モビリティ、ドローン、AIと、多様な領域に挑む日本の起業家たちの姿を見ることができる。変わりゆく日本の起業家シーンはいま、どのようなイノベーションを起こし、そしてこれからどこに向かうのか。日本経済を動かす、その行方に注目だ。
岡田光信◎1973年生まれ。兵庫県出身。東京大学農学部卒業。米パデュー大学でMBAを取得。大蔵省(現財務省)入省。マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、IT事業で2社を起業。アジアを中心に活動した後、2013年、アストロスケールを起業した。