こんな一例がある。当初、岡田はデブリを「とりもち」のように特殊粘着剤で衝撃を緩和しながら捕獲し、大気圏に落とす計画を進めていた。世界中の化学メーカーに交渉に出かけるが、門前払いが続き、まともに取り合ってもらえなかったのだ。
悩み多きCEOに思えるが、実は岡田は「悩んだのは一度だけ。創業の初日です」と言う。しかも、デブリへの関心を失いかけたことは一度もないという。
「ブルドーザーのように大きな問題を解いていくのが楽しいですね。課題を解く方程式は、“あるべき姿”をどう設定するかが肝です。これを高みにもっていくと、逆説的のようですが、発想が自由になるのです」
彼の行動原理を理解するには、次の一言に尽きる。それは、「ソリューション・スペース」だ。脳内の「解の空間」に、問題に対する解答を複数つくっていく。問題を理解するほど、「解」はさらに根っこが枝分かれして、土の深くまで伸びるように無数に増えていく。大きな問題は、具体的なアクションとその解決のためのオプションに分解され、取るべき行動が明確になる。
30代でIT企業を起こし、40歳を目前に、岡田は本当にやりたいことは何かと考えた。尊敬する人物は阪急電鉄の創業者、小林一三である。何もない土地に線路を引いて交通を生み、沿線に街をつくってインフラを築いた。社会的に意義のあることをしたい。こうして、好きだった宇宙に関する学会に足を運び始めた。スペースデブリの問題を知ると、2013年4月、4年に一度ドイツで開催されるデブリの専門学会に参加。そこでまだ誰もこの問題を解決していないことを知った。アストロスケールを設立したのは、この学会の実に10日後である。
創業初日、判断に悩んだのは社の方向性だった。デブリ問題の解決方法は複数ある。デブリの本を書くといった伝道師的な仕事から、機器の製造、デブリの捕獲衛星の設計などだ。「解」が枝分かれするなか、耳に残る言葉があった。シンガポールの学会で、米スペースXの社員から言われた、情熱的な言葉だ。
「ノブ、絶対に工場をつくるべきだ。自前の工場をもたなければ、イノベーションは起こせないんだ」
見て見ぬふりができぬ人々
「すごい会社が茅ヶ崎にあるから、一緒に行きませんか」
岡田から筆者(藤吉)に熱い声で連絡があったのは、4年前の夏のことだ。それは従業員20人あまりの小さな町工場、切削加工の由紀精密だった。部品製造の下請けをしていたが、岡田と発想方法は似ていて、「高み」に目標を設定。抜群の技術力を生かして、欧州の人工衛星企業や航空用ジェットエンジンなど、グローバルな新規分野に挑み、フランスに子会社をもつ開発型企業に飛躍させている。岡田はこの由紀精密と資本提携を結んだ。
岡田に共鳴する企業や研究者は増えていった。愛知県豊川市の切削工具のトップメーカー、オーエスジーはスポンサーになった。さらに、17年、NASAアジア代表部の代表を務めていたクリストファー・ブラッカビーは、NASAの要職を捨ててアストロスケールに入社した。ISS(国際宇宙ステーション)に関わる事業や国際協力に関わる戦略計画を担っていた大物だが、「(岡田の)情熱にほだされ、新たなチャレンジに挑みたいと思ったんだ」と言う。