ヴェルディはこのオペラを、ライト・モティーフの手法を使って作曲している。ライト・モティーフとは、例えばダースヴェーダーが出てくるときには、その前に必ずあのメロディーが流れる、という“あれ”のこと。劇中の人物や感情などを象徴するメロディーをつなげて作曲していく手法のことで、音楽と劇がより強く結びつき、ドラマチックになる効果などを持つ。この手法を洗練させ、自在に使いこなしたのがワーグナーなのである。
イタリアのオペラ作曲家として第一に名前が挙がるのがヴェルディだとすると、ドイツ人だったらワーグナー。しかも二人は同じ時代に生きていた。そしてヴェルディは彼の世界最大のライバルであったワーグナーの手法を見事に取り入れ、ドラマチックな仕上がりを『アイーダ』にもたらした。
曲を一曲ごとに見てみても、ラダメスのアリア「清きアイーダ」、アイーダの最初のアリア「勝ちて帰れ」や三幕の「わが故郷」、言わずと知れたサッカーでおなじみの「凱旋行進曲」、終幕の二重唱などなど、浸れて委ねられる名曲のオンパレード。
2007年の公演は、大野和士の指揮もとてもよかった。「ああ、そうそう。そこで、そういう音楽が聴きたかった」と高まれる流れがあった。しかもそれを日本人が指揮してるんだ、と感慨もひとしおであったことを覚えている。
衣装と舞台、何より歌声
音楽だけではない。目も大いに楽しめた。古代エジプト王朝を舞台にした絢爛豪華な舞台美術の多い『アイーダ』の中でも、メトロポリタン・オペラの『アイーダ』と言えばその豪勢な美術と大胆な舞台転換が何より見ものだ。
メトロポリタン劇場で本年上演された「アイーダ」より第2幕フィナーレ(c)MartySohl/MetropolitanOpera
METの誇る7つの迫(舞台の一部が上がったり下がったりする機構)を全て使う演目は『アイーダ』だけ。最初の凱旋のシーンには生きている馬が二頭出てきて馬車を引っ張るし、最後のシーンは地下の墓所と神殿の二重舞台だし。さすが、エキストラやスタッフを含め総勢千人以上が関わると言われる演目である。太い石柱のあるエジプトの神殿などを再現するその壮麗な演出に圧倒されたこともよく覚えている。ゴージャス体験もいいところである。
そして何よりも、記憶に残っているのはやはり歌手である。私が見たのは、オペラ界のテノールのスターの一人、ロベルト・アラーニャが初めてメトロポリタン・オペラで歌ったラダメスであった。
彼のラダメスには曰くがある。2006年の12月。世界三大歌劇場の一つ、ミラノ・スカラ座でラダメス役のデビューを迎えた彼は、二日目の公演で、最初のアリア「清きアイーダ」に観客がブーイングを上げたのに怒ってそのまま帰ってしまい、そのあとは、控えていた代役が普段着のままラダメス役を務めた、という事件があったのだ。その時以来、アラーニャはラダメスを歌っていなかった、というか封印したと思われていた。
しかし、この日はもともと予定されていたラダメス役が体調不良で降板。他の歌手が全然いなかったため、どうしてもと頼み込まれたアラーニャは急遽、男気でオファーを受けたのである。結果、こんなに緊張感のある歌唱はなかなかないというほど集中した歌で、アラーニャは見事にラダメスを歌いきった。メトロポリタン・オペラの危機を、素晴らしい歌唱で救ってくれた彼を、カーテンコールでは観客がスタンディング・オベーションで迎えた。
その時、舞台上で文字通り跳ね上がって、何度も何度もガッツポーズをして喜んでいたロベルト・アラーニャのあの姿は今でも忘れられない。彼の舞台は何度も見ているが、あんなに興奮していたのを見たのは後にも先にも一度きりだ。