塩尻から戻った晝田は、さっそく商店街の空き店舗を探し始めた。あるバーの隣の空き店舗に目をつけ、そのバーに飲みに行きマスターに相談した。すると、偶然にも地域の重鎮が来店していて、晝田はその場で「ここやる」の構想を説明した。
重鎮は「お前らみたいなやつらが出てくるのを待っていた」と、ふたつ返事で知り合いの空き店舗オーナーに連絡し、アポを取る。さらにそのアポにも同席し、「俺はこの若いやつらを応援したい、協力してあげてくれ」と強力に後押しし、晝田は無事にオーナーから店舗使用の了解を取り付けた。
指弾する声とも闘いながら
とはいえ、公務員というのは、突出したことをするととかく叩かれがちだ。まちづくりを行う市民グループからは「公務員に何ができるんだ!」「遊び感覚でやってもらっちゃ困る!」などと言われたこともあった。それだけではない、役所の中でさえも「遊んでる暇があったら仕事をしろ!」「そんなリスキーなことやってどうするんだ」と晝田を指弾する声もあがった。
一方、味方も多く現れた。晝田も含む「ここやる」を立ち上げた役所の4人は、庁内の「部課長会頑張る職員 金賞」を獲得したが、その際には副市長の強い推薦があった。晝田の活動を後押しするために、市長や副市長に根回しをしてくれた課長の存在もあった。さらに、空きスペースの賃料をカンパしてくれる先輩や同僚たちなど、晝田の周りにはいつも支援者の姿があった。
取材の際、晝田は「自分のダメな部分を記事に書いてほしい」という言葉を何度も繰り返した。その意図するところは 、全国で人知れず苦労している若手職員へエールを送るためだ。「自分のような普通の公務員でも、活躍できる可能性があると感じてもらいたい」という。
そんな晝田の理想とする公務員像は明確だ。部下の提案を否定するのではなく、かといって、そのまま鵜呑みにもしない。部下が何をめざしているのか深く掘り下げて、それを後押しできる存在になりたいのだという。晝田は、「ここやる」で自分を支えてくれた先輩たちの背中を追っているのだ。
連載 : 公務員イノベーター列伝
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