そして、あっという間に修行の旅も後半戦に突入。それまでの“保護者”の元を離れ、いざボローニャの西、モデナへとやってきたはいいが、早くも壁にぶち当たる。
ここでは、ステイ先を確保するため語学学校に籍をおいたくらいで、実はなんのツテもない。地元の主婦が通うような、いわゆる「お料理教室」くらいしか行くところもなく、情けないことに1歩も踏み出せないでいた。
「1日中いたっていいのよ」
そんな私を救ってくれたのは、意外にも語学学校の女校長だった。
「ふふ、あなたの習いたいのは、イタリア語じゃなくてイタリア料理でしょう?」
早々に私の目的を見抜いた彼女が紹介してくれたのは、鰻の寝床のような小さな小さなトラットリア。ここをたったひとりで切り盛りする女シェフ、アダを訪ねると、数分後には、なぜか包丁を手にする予想外の展開に。
「あなたの好きな時にいらっしゃい。昼でも夜でもいいわ。1日中いたっていいのよ」
この日から、私のモデナでの日々がガラリと変わった。
アダは私に、食材の持ち味を最大限に生かすための基礎から、彼女が独自に編み出したちょっとした料理のコツまで、そのすべてを余すことなく教えてくれた。それだけでなく、どんなに疲れていても、お客さんには全力で接し、けっして手を抜かないという、プロの意地のようなものを、その背中で教えてくれた。
こうしてひとつの居場所ができると、不思議なもので、次から次へと新たな縁が生まれる。路地裏の店で食べたトルタ・サラータが美味しくて、厨房のおじさんに感動を伝えると、ひょんな流れから翌朝からお邪魔することになったり、料理教室で知り合った女性の実家に習いに行くことになったり……。
気がつけば、朝暗いうちから深夜まで、パスティッチェリアの厨房、アダの店、料理教室、再びアダの店……と働き詰めの毎日。立ちっぱなしでもまったく苦にならない日々を送っていた。
これもすべて、ボローニャでの居候先のマンマ、ネリーナから伝授された相手の懐に飛び込んで行く図太さと、情熱を伝える勇気を、無意識に実践していたからに違いない。そして、そのとき、ふと「いまなら、行けるかもしれない」と思った。いまなら、「本丸」を攻められるかもしれないと。
「本丸」とは、そう、私を今回の旅へと駆り立てた「トルテッリーニの宿」だ。
モデナからタクシーに乗って、晩秋の深い霧に包まれたエミリア街道をひた走り、カステルフランコという小さな町をめざす。宿へは、勇気を出して、数日前に電話した。といっても、日本人の名前を名乗ったところで、先方に思い出してもらえるはずもなく、宿のシニョーラ(女主人)は思い切り訝しげな対応。それでも会ってもらう約束だけは取りつけた。