日本をはじめ国際社会では、ホテルが個人情報の開示や提供に制限を設ける、プライバシーポリシーを掲げるのは常識である。大学のホテル経営論のテキストにも書かれていることで、ホテルの信用に関わる問題だ。ところが、中国では当局によってあっさり無視されてしまう。
お忍びで利用する人も多いのがホテルである。それでも、中国側は、プライバシーとは安全と天秤にかけても肩肘張って守らなければならないものなのかと主張するかもしれない。
彼らが人権やプライバシーなどを一顧だにしない冷徹な姿勢を見せるとき、強い違和感のみならず、人間の底が抜けてしまうような気の遠くなるものを覚えるときがある。些細な話のようだが、ホテルのゲスト撮影問題は、我々と彼らの価値観の違いを突きつけてくる。
ここまでくると、一部のメディアが報じる、「中国人はプライバシー侵害に寛容で、利便性のために個人情報の提供も許容している」との内容に、疑問符が付くのではないか。これだけ多くの中国人が海外に出かける時代である。むしろ、物言えぬ社会ゆえに、最初から諦めているというのが実情だろう。
選挙による政権選択のない中国のような国をみるとき、原則とすべきは、為政者や当局と一般国民を区別して考えることだ。そして、今日ほど両者の意識の乖離が著しい時代はないように思う。
先頃の米中貿易摩擦と厳しさを増す米国の対中姿勢の変化の背景に、「経済成長すればやがて民主化するだろう」というこれまでの中国に対する好意的関与の姿勢が裏切られたことへの反動があるとの指摘もあるが、今回の話もそれに似た失望がある。
それにしても、なぜそこまでするのだろうか。これではかえって国際社会にそうしなければならない事情が内部にあると勘ぐられかねないことに、彼らはどこまで気づいているのだろうか。
連載:ボーダーツーリストが見た北東アジアのリアル
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