日本を舞台にしたものだったから、それはそれでオリジナルなクールジャパンへの貢献となり、母国への恩返しになると自分でも高揚していた。しかし、結果は、力の限りフルスイングをしたのだが、見事、空振り三振に終わった。
「映画の都」ハリウッドは閉鎖的な社会だが、それでも外国人である筆者にチャンスを与えてくれたことには、大きな感謝がある。そして、そのいきさつののなかで、現在のハリウッドの舞台裏も垣間見させてもらったことは、ものを書き続けていこうとする筆者にとっては貴重な体験となった。
3000万人ではなく300万人で成功
今回、筆者がハリウッドの著名なプロデューサーに提出した企画は、テレビシリーズ用のドラマの原作だったが、あらためて米国のコンテンツ産業が進化を続けていることを思い知らされたのは、「映画」と「テレビドラマ」の新たなる関係だ。
20世紀までは、ハリウッドでは映画が「兄」で、テレビが「弟」という言われ方がされていた。当然、予算や名誉は長男の取り分が大きい。ところが21世紀に入り、ネットフリックスやアマゾンの業態変化、さらにテレビがスマートテレビ化すると、それがテレビドラマを活気づかせた。その中心的存在は、ネットワークテレビ局(日本で言うキー局)ではなく、ケーブルテレビ局だ。
アメリカはもともと多チャンネル嗜好が強く、スポーツ専門、音楽専門など、ケーブルテレビが多く視聴されてきた。しかし、ことドラマとなると、視聴者数の規模の小ささからケーブルテレビ局がオリジナルコンテンツをつくるということはなく、既存の映画を流すのがほとんどだった。
ところが、ネットフリックスやアマゾンが映画に加えて、過去のテレビドラマを配信するようになると、2社の会員の増加とともに、テレビドラマのコンテンツ価値が急上昇した。ネットフリックスとアマゾン、両社のビジネスモデルはいわゆるロングテール(売れ筋商品に特化することなく、少数派の顧客まで多種多様に囲い込む)なので、全米のローカル局をつないで視聴者にコンテンツを提供するCBSやNBCなどのネットワーク局より、コアなファンに愛されるドラマへのニーズが強くなった。
つまり、ネットワーク局なら毎週全米で3000万人の視聴者を得なければ成立しなったドラマづくりが、300万人集めれば成功とみなされるようになった。すると、かつては視聴者の「最大公約数」的テーマやプロットでしか実現しなかった「無難なドラマづくり」が、コアなファンを狙っての斬新で大胆なものに変わってきた。ドラマのオリジナリティは一気に増して、完成度の高いものとなり、そのなかから、コアなファンだけではなく、全米で多くのファンを獲得する作品が生まれてきた。
典型的な例は、高校の化学の教師が麻薬の密造人となる「ブレイキング・バッド」や、マフィアのボスが人間関係に悩む「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」、古代の架空王国が覇権を争う「ゲーム・オブ・スローンズ」などで、これらは日本でも放映され人気を博した。
大ヒットが生まれ、それをネットフリックスやアマゾンが、ネットの至るところで宣伝すれば、もはやネットワーク局など圧倒的に凌駕して、ビジネスモデルとしても確立される。多大な収益を上げ、その資金をもって次のドラマへと向かう。とにかくいい循環が来ている。