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エマニュエル・マクロン大統領

投資銀行でビジネス経験もあるエリート中道派の大統領と、「成功者は嫌われる」お国柄で富を築いた異色のテック長者の組み合わせは、フランスを“起業大国”に生まれ変わらせることができるのか。


1年前にオープンした、いまだ新車のようなにおいが漂う「ステーションF」。面積は3万4000平方メートル。その空間を3000人の起業家の卵が行き来している。エントランスホールでは、アーティスト、ジェフ・クーンズが制作した粘土を積み上げたようなカラフルな2000万ドルの作品が迎えてくれる。宙に浮かんだ打ち合わせブース、真っ暗な「リラクセーション・ゾーン」など観光名所のような見所は多くあるが、最も感銘深いのはこの施設の所在地だ。

そう、このインキュベーション施設はパリにある。エッフェル塔やタルト・タタンといった名物と同じくらい、頻発するストライキ、週35時間制限の労働、高い賃金で名高い国の首都にあるのだ。

フランスでは給与税(企業が支払う給与の総額に対してかかる税金)の税率が42%に達し、複雑な労働関係の法令は「コート・ドュ・トラバーユ」と呼ばれる3000ページもの冊子になっている。フランスは長年、西欧諸国の中で最も起業や成長に冷ややかな目線を送る国だった。

「『変化に抵抗する』と主張することが、ここ20〜30年のフランスの変化へ対応の王道手段でした」と、フランス大統領のエマニュエル・マクロンは米本誌の独占インタビューで語る。

昨年、39歳のマクロンがフランス史上最年少の大統領に選出され、世界が注目した。だが年齢以上に重要なのが彼の経歴だ。政界に入る前、マクロンはロスチャイルド系の投資銀行に3年以上勤めていた。また彼自身、教育関係のスタートアップを起業しようとしたこともあった。

シラクからオランドまで、フランスの政治家は何年も改革を口にしてきたが、変化を嫌う年金生活者や、短期的視点の労働組合に潰されてきた。マクロンはそれを理解した上で、職権のすべてをかけて改革に取り組んでいる。

「彼らは数週間、数カ月にわたるストを計画するでしょう。こちらも体制を固めなくてはなりません」と大統領は言う。「しかし、改革への望みを絶ったり、後退させたりはしません。ほかに選択肢がないんですから」

大統領令を行使し、彼は矢継ぎ早に労働法規を新設した。それにより、雇用も解雇も容易になった。その一方で“苦い薬”をのみやすくするための政策として、今後5年間で180億ドルを労働者の再訓練などに充てる。その中には、増え続けるフリーランスや自営業者にまで失業保険の対象を拡大するといった賛否両論の施策も含まれている。また、財産やキャピタルゲイン、労災補償にかかる税率をカットし、「すべてをシンプルに」しようとしている。

マクロンはどこまでやるつもりなのだろうか。彼が本誌に明かしたところでは、来年はエグジットを果たした起業家から徴収する、悪名高い30%の税金を恒久的に廃止するつもりでいるらしい。また、トランプ大統領は国外に移転する米国企業に脅しをかけ、国内に留まる企業には補助金を約束しているが、マクロンは全く逆の動きをしている。

「人は、希望する場所で投資を行う自由があります」とマクロンは言う。「あなたが誰かと結婚したいと思ったら、婚約者に『私と結婚したら自由に離婚できません』と言うべきではありませんよね? それが愛する相手を手に入れる最良の方法だとは思えない。だから私は自由に結婚し、自由に離婚できる、という考え方を支持します」

エリートに敬遠される“問題児”

IT全盛の時代、フランスは幾度かの「失われた時代」を経験した。ゲイツやジョブズやエリソンがマスクやベゾスやザッカーバーグを生み出す間、フランスの有能な起業家たちは国内でのチャンスに見切りをつけ、米国企業で働くためにカリフォルニアへ移った。今ではおよそ6万人のフランス市民がシリコンバレーで働いているが、これはイギリスやドイツをはじめとする欧州のどの国よりも多い。

唯一と言っていい例外が、推定61億ドル(約7000億円)の資産を持つフランスで8番目の資産家、グザビエ・ニールだ。フランスに40人いるビリオネアの富の源泉は主に2つに大別される。1つは贅沢品や小売り、もう1つは相続である(その両方という者も多い)。

ニールは唯一インターネットで富を築いた。彼が最初に手掛けたのは「愛(ラムール)」だった。すなわち、ポルノである。フランスでは1980年代から独占的な通信企業がインターネットの先駆けのようなサービスを提供していた。ニールは17歳のハッカーだった頃、父親のサインを偽造して2本目の電話線を引き、セックスに特化した偽名専用のチャットルームを開設した。24歳になる頃には、オンラインの出版社を30万ドル以上で売却していた。

94年にワールド・ワイド・ウェブが登場すると、ニールはフランス初の大手インターネットサービス「ワールドネット」を起業し、雑誌を通じて何万台もの接続キットを配布した。ここでも彼のタイミングは完璧だった。ワールドネットを5000万ドル超の金額で売却したのは、ドットコム・バブルが弾ける直前の2000年のことだった。

文=パルミ・オルソン、アレックス・ウッド 写真=レヴォン・ビス 翻訳=町田敦夫

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