編集長として、ピュリツァー賞を受賞するまでに同メディアを成長させると、2016年8月に退社。同年9月、ストレス・睡眠不足の軽減や生活・職場環境改善を支援するスタートアップ、Thrive Global(スライブ・グローバル)を立ち上げた。
アテネで生まれ、英ケンブリッジ大学で学び、1980年にニューヨークに移住。結婚・出産、政治家への挑戦、離婚、企業と、さまざまな転機を経験した。アメリカンドリームを地で行くカリスマ女性起業家が、本音で人生を語る。
──2013年5月、あなたは米女子大のスミス・カレッジに招かれ、卒業式の訓示で、「お金や権力という一般的な成功の基準を否定し、自分なりの成功を再定義せよ」と述べられました。成功の定義は人それぞれで、何が成功であるかは後になってわかる、と。なぜ、そう考えるようになったのですか。
過労で倒れたのを機に、そう考えるようになった。2007年4月6日朝、目覚めると、自宅の仕事部屋で倒れていた。周りは血の海だった。極度の疲労と睡眠不足から気を失い、机の角で頭を打ち、目の周りが切れ、頬骨が折れていたのだ。
何人もの医者にかかり、脳のMRIやCATスキャンから心エコー図まで、さまざまな検査を受けた。疲労だけでなく、何か別の問題があるのではないかと思ったからだ。結果的にどこも悪いところはなかったが、待合室は、自分自身に多くの問いを投げかけるには、うってつけの場所だった。自分がどのような人生を送ってきたのか、という問いだ。
当時、創業2年たっていたハフィントンポストは、すさまじいペースで成長していた。私自身、複数の雑誌の表紙を飾り、米誌タイムの「世界で最も影響力のある100人」にも選ばれた。
だが、過労で倒れ、「これが成功というものなのか」「私が望んでいたものは、これだったのか」と、自問せざるをえなくなった。事業を起こし、報道規模を広げ、投資家を呼び込むべく、週7日間、1日18時間働いていたが、そのとき、自分の人生が制御不能に陥っていることに気づいたのだ。
お金と権力に重きを置く従来の成功の尺度に照らせば、私は非常に大きな成功を収めていたといえる。とはいえ、健全で良識的な定義に照らせば、人生の成功者とは言い難かった。「こんな生活を続けるわけにはいかない。人生を大きく変えなければ」と感じていた。従来の成功の定義づけは十分でない。人間や社会にとって、もはやサステイナブルな、持続可能性に富んだものとはいえないからだ。
妥協の産物ではなく、私たちが心から望み、生きるに値する人生を送るには、お金と権力を超えた、成功を定義づける3つ目の基準が必要だ。その基準は4本の柱から出来ている。まず、心身の幸福。2つ目が、良識や分別。3つめが、新たな発見に驚嘆・感動すること。そして、人への親切や寛大さだ。