ヤフーのモバイルシフトを牽引した“反逆児”が選んだ次の戦場は「働き方改革」だった。学生時代から二足の草鞋(わらじ)を履いてきた男が考える、働く意味と生き残りに必要な力とは。
2月末日、秋葉原。街角に設置されたドラムセットの前で村上臣(41)は退屈そうな表情を浮かべていた。ドラムを使った撮影なのに叩ける気配が一向にしない。村上は幼少から楽器を嗜たしなむ大の音楽好き。 “エアドラム”がもどかしかったのだ。
じつは、音楽が村上をインターネット・ビジネスの世界に導いたといっても過言ではない。学生の頃、「青学サンバ隊」に所属していた彼はネットに関心がある仲間とIT企業「電脳隊」を創業。その後、ヤフーやベンチャー企業などで、一貫してモバイル事業に取り組んできた。2012年にはヤフーの最高モバイル責任者(CMO)に就任。日本最大のポータルサイトのモバイルシフトを任されることになった。
「インターネット常時接続の世界が掌(てのひら)にあるというワクワク感に取り憑かれましたね」と、村上はモバイルの魅力について語る。上司に「僕からモバイルを奪わないでください」と懇願する熱の入れようだった。
だが昨年、スマートフォンのユーザー比率や広告の売り上げがPCを超えたのを機に、ヤフーはモバイルへの移行を終えたと宣言。村上は任務の完了を受けて、自分が次にすべきことについて考え始めた。
「40〜50代はキャリアの半分。新しいプレイブックを自分の中にインストールしないと食っていけない、と感じたんです」
そこで国内のモバイル事業一筋だった村上が選んだのが、世界で5億人以上のユーザーを抱える、ビジネス特化型SNS「リンクトイン」の日本代表職だった。
リンクトインへの転職と同時に、村上はあることを始めた。「複業(パラレルワーク)」である。新規事業創出企業フィラメントの最高戦略責任者やフィンテック企業TORANOTECの技術顧問に就任している。折しも副業を解禁する会社が増えている時代。だが、「複業」で得られる価値は単に収入を増やすことだけに留まらないと村上は考えている。
「アイデアとは既存のものの組み合わせです。行く先々で得られる情報のタイプが異なれば、それだけ発想が広がります」