「神経〆」を実演する長谷川大樹
もちろん、当日の会場から、否定的な意見がなかったわけではない。一番多かったのは、「『神経〆』は高級レストランだけのものではないのか。高級レストラン文化のない台湾で、そんな手間のかかることをしても誰が買ってくれるのか」という声だ。
「それは誤解だ」と長谷川は語る。実際に手順を見せるために、会場ではあえてゆっくりと「神経〆」を実演したが、その後に通常のスピードで同じ工程を行なったが、かかった時間はわずか数10秒。「手間」というほどの手間ではない。
稗田は、長崎県の壱岐で生まれ育った。台湾の魚の質の向上は、確かに台湾の食材のみで料理をつくる稗田自身にもメリットがある。しかし、「祥雲龍吟」はわずか36席のレストランだ。自分のことだけを考えるなら、知り合いの漁師に頼めば、自分の店の分は賄える。なぜ、あえてこのような大々的なイベントを行なったのか。
それは、台湾の水産資源の未来のためにも大切なことだと信じているからだ。稗田の故郷は、かつてはマグロ漁で栄えた有名な漁港だった。しかし、いまは乱獲のためにすっかり寂れている。台湾でいまのスタイルの漁業を続けていけば、同じことがきっと起きてしまう。
現状の台湾では、魚を重さで扱うため、獲れすぎた場合には捨ててしまうことも多い。正しく「神経〆」をすれば、保存性も増すため、捨てられてしまう魚を減らすことができるうえ、正しく処理すれば臭みなど出づらい。においなどの理由で雑魚として捨てられてしまっている魚を、レストランで提供することもできる。
「神経〆」をして正しく魚を扱うことは、魚の命を尊重することでもあり、多くの魚を獲らなくても、しっかりとした収入が得られるため、漁師の生活を守ることでもある。「台湾の魚は美味しいです。いずれ、日本の魚と同じように、世界に輸出される日が来るかもしれない。それが、僕の台湾に対する恩返しです」と稗田は語る。
たくさん獲って不要なものは捨てる漁業から、必要な分だけを獲りそれを大切に扱う漁業へ。その橋渡しをするのが、もしかしたら「神経〆」という技術なのかもしれない。
そんな稗田の背中を、さらに押す出来事があった。3月27日に行われた「アジアベストレストラン50」で47位、初のランクインを果たしたのだ。稗田の独自のスタイルの日本料理が、広くアジアで認め始めて来た証拠だ。「ゆくゆくは魚の命に敬意を払い正しく扱う考えが、世界に広まれば素晴らしい」と、稗田の目は世界を見据えている。