2007年、ついに「酒づくりで、日本の農業を支える」のが念願だった橋場にとって、ひとつの目標であった、全量純米酒も達成した。100%純米酒だけをつくる蔵としても知られるようになる。
さらに、2009年には、農地法が改正され、株式会社でも農地の貸借が自由にできるようになった。周辺にある田を借り、同時に信頼できる米の生産者と契約し、生産量を徐々に増やした。質の高い、「米の酒」と堂々と言える日本酒をもっと広めたい、その一心だった。
冒頭のシェフ・ソムリエのエピソードからもわかるとおり、いま泉橋酒造の評判は、海外にまで伝わりつつある。アジアを中心に、海外への出荷も増えてきている。
現在はつくる日本酒の半分が生酛づくりだ。当初0.5ヘクタールだった水田は、いまは自社7ヘクタール、専属の契約農家からの37ヘクタールで、合計44ヘクタール、全使用量の9割が地元産の自社米だ。21年前に手探りで始めた山田錦の生産だが、昨秋の神奈川県の山田錦の生産量は、34府県中20番目。そのほとんどが、泉橋酒造の米だ。
米に合わせた磨き方ができるように、高価な醸造用精米機も導入した。生酛づくりにこだわるのも、酒米の種類や状態によって、潰し方を変えるなど、それぞれの米にあったやり方で、より米の個性を引き出せるからだ。
時代も、ついてきた。日本酒の消費は減っていると言われるが、純米酒の消費はむしろ伸びている。泉橋酒造も、全量純米酒に切り替えた当初と比べると、売り上げは2倍に増えた。
蔵の目の前に広がる田を見せてもらった。遠景には住宅が立ち並ぶのどかな田園風景だ。
「悪くないでしょう。ここからの景色が、大好きなんです」と橋場は語る。冬場ではあるが、水田の水は抜かず、水面には刈り取った稲わらが浮かんでいる。その様子を眺めながら「春までには分解されて、いい肥料になります」と橋場は目を細める。自然のサイクルを生かした、豊かな土壌をつくるための工夫だ。太古の時代から、酒づくりは米づくりだった。化学肥料は使わず、農薬の使用も最低限に抑えている。
橋場は、最近、年配の契約農家から、後継ぎがいない田を引き継いでくれないかという話を受けた。良い水田を譲り受けられて嬉しいという反面、また農業の担い手がいなくなるのかという複雑な思いもある。
米づくりから酒を醸造している酒蔵は、まだまだ少ない。「酒づくりは米づくり」という考えがもっと浸透し、今後、「栽培醸造蔵」と呼ばれる自分たちのような蔵がもっと増えていけば、日本の農業の安定や自給率の向上にも繋がるのでは。そう、橋場は考えている。