当然、ガゴシアン氏はARTNEWS誌の「アート界で最も影響力のある人」リストの常連だが、メディアの取材にめったに応じないことでも有名だ。最後に登場したのが、2016年のウォール・ストリート・ジャーナルの大特集だが、本邦メディアには近年で今回が初登場だ。
インタビューはガゴシアン氏の執務室で行われた。その冷徹な取引から「シャーク」と呼ばれるだけあって、穏やかな表情ながら眼光は鋭い。
まずは、展覧会の話から。ガゴシアン・ギャラリーは、美術館に匹敵する規模とレベルの展覧会を催したパイオニアだ。ときには出展作品の8割が非売品になろうとも、ニューヨーク近代美術館(MoMA)等の主要美術館やコレクターから作品を借り、最高水準の展覧会を開催する。必要とあらば、ピカソの伝記作家ジョン・リチャードソンを莫大な契約金で引き抜くなど、とにかくスケールが大きい。
ジョン・リチャードソンのキュレーションによる「Picasso & the Camera」展、2015年。
その資金はどう捻出したのかと聞くと 「人はセカンダリーセールのことを何となく悪く言うけれど、私はビジネスの中で主要な一部だと考えている」と堂々と答えた。セカンダリーセールとは、新作ではない市場に出回った作品の売買だ。多くのギャラリーがバックドアビジネスとして細々と行ってきたものを大々的に展開したのがガゴシアン氏だ。
トップレベルの展覧会を催すことは、ガゴシアン氏にとっての武器でもある。作家遺族から相続作品のエージェントに指名されることもある。ピカソ晩年作品の展覧会は作品再評価のきっかけになり、ピカソの中では評価が高いとは言えなかった晩年に制作された作品に、10倍以上の価値をもたらすようになった。ガゴシアン氏は、アートの本質ド真ん中への投資と、果敢な決断でギャラリービジネスを新たな次元に持っていったのだ。
さまざまなコレクターやアーティストの名前が登場したが、17年の5月、ZOZOTOWNの代表取締役社長・前澤友作氏がバスキア作品を123億円で落札した出来事も話題にのぼった。
「今年5月のメトロポリタン美術館での川久保玲を称えたガラパーティで、彼を私のテーブルにお招きしましたが、彼は素晴らしいコレクターだ。偉大な作品を持っているし、まだ若いし、また自分のコレクションに関してもとてもオープンだ」
日本人顧客は他にもいるが、ガゴシアン氏が直接密にやり取りするのは、前澤氏を含めて2名くらいだ。バスキアについての回想も語ってくれた。
「80年代前半、西海岸の私のギャラリーでバスキアの展覧会をやり、その関係で、彼が私の家に泊まっていた。あるときからガールフレンドも泊まっていた。彼女が車を運転することもあって、時折、私も乗せてもらっていた。バスキアは、彼女はいずれ世界的スターになると私に言っていた。それがマドンナだったんだ」