話が小難しくなってしまいましたが、この“エポケー”という考え方は、実生活やビジネスにもかなり応用が利くと思います。
筆者が数年前に読んでとても印象深かった本に『生き心地の良い町』(岡檀著・講談社)があります。
これは日本でも有数の自殺率の低さを誇る徳島県海部町(現・海陽町)に、当時大学でメンタルヘルス研究を行っていた著者の岡さんがフィールドワークに行き、その記録をまとめたルポルタージュですが、そこで岡さんが発見した、海部町住民が保持する自殺予防因子がとても興味深いのです。
普通「自殺率が低い」と聞くと、住民はさぞ助け合い精神に満ちた人々だろう、などとつい思いがちですが、全然そんなことはありません。住民同士の関係はきわめて淡泊で、お互いの生活に過干渉せず、それぞれのペースで生きています(けっして一人ひとりが冷淡なわけではなく、他人は他人・自分は自分と思っている)。
「病は市に出せ」「関心と監視の違い」などをルポ。同書は日本社会精神医学会優秀論文賞を受賞。
私はこれを読んで、日本の地域コミュニティはおしなべて緊密につながっている、という自分の思い込みが、必ずしも正しくないことを知りました。それ以来、仕事で地域がテーマとなるときには、先入観を排して(エポケーして)、その地域(住民)独自の特色をよく知るよう心がけています。
常識というのは非常に強固な刷り込みであり、常識に逆らった発想をするのは、そう簡単ではありません。広告業界には、常識を一旦取っ払い、斬新なアイデアを生み出す“ブレスト文化”というものが根付いています。
ブレスト(ブレインストーミング)とは、アメリカ大手広告会社BBDOのアレックス・オズボーン氏によって考案されたアイデア発想法です。ブレストは、自由な意見交換の場ですが、大きく4つの守るべきルールがあります。
1)批判禁止:自由な発想を制限するような、批判を含む判断・結論は慎む
2)自由奔放:粗削りでもよいので、奇抜な考え方やユニークなアイデアを重視する
3)質より量:じっくりよいアイデアを出すより、とにかくたくさんのアイデアを出す
4)結合と便乗:別々のアイデアをくっつけたり変化させて新たなアイデアを生む。便乗もOK
お気づきかと思いますが、ルール1には「判断・結論を慎む」という“エポケー”が位置しています。つまり「予算がない」とか「そんなのは上司(会社)が許さない」といった常識(思い込み)を一旦忘れて、ニュートラルな状態から、思い切ったアイデア出しをすることが推奨されています。
皆さんも、もし身の周りの常識に少しでも違和感を感じたら、迷わずエポケーしてみてください。今の時代、そこから素敵なイノベーションが生まれてくる可能性はきわめて高いと思います。
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中谷俊介◎電通総研Bチーム・未来予測担当。プランニング・営業セクションを経て、現在は社内ナレッジマネジメントを推進中。大学時代に学んだ(東洋)哲学がじんわり仕事に役立っている。