イギリスのゴルフ史に残る、偉大なゴルフ場の魅力とは。
ゴールドマン・サックスを辞めてプータローをしていた頃のことだ。ロンドンを訪れた際、興銀時代からの旧知の先輩ご夫妻と食事をした。さらに夫妻がロンドン郊外のパットニーにお住まいということで、最寄りのウィンブルドン・コモン・ゴルフ・クラブでプレイすることになった。
私は1970年代、ウィンブルドン郊外のニューモルデンという街に住んでいた。毎日バスでウィンブルドン駅から通学していたこともあり、格別の思い出がある。また、イギリスにおけるゴルフの発展の歴史に残る偉大なゴルフ場であり、早くプレイしたいと思い続けていた。ようやく夢が実現したので興奮し、喜び勇んで駆けつけた。
19世紀半ばまで、ゴルフはスコットランド人のものであり、イギリス人はほとんどやらなかった。英語では「it is Scottish affair」と言うくらいである。
世界的テニストーナメントで名前が知れ渡っているウィンブルドンには、素晴らしい高級住宅街がある。19世紀中頃には、ロンドンの発展とともにいろいろな人たちが移住してきた。ここに移り住んだスコットランド人たちは、ロンドン・スコティッシュ・ライフル・ボランティアというクラブを結成し、広大なウィンブルドン・コモンで狩猟をやっていた。
1864年11月の理事会で、同じ場所でゴルフをやろうと決まり、翌年、ロンドン・スコティッシュ・ゴルフ・クラブが創立された。最初は軍人だけのクラブだったが、だんだんと地元市民メンバーが増え、とうとう市民250名に対して軍人50名となった。しかし軍人が威張っていたうえ、メンバーシップフィーなども不公平であり(もちろん市民のほうが高い)、軍人であり拒否権を持つ理事長がありとあらゆる市民からの提案を拒否し続けた結果、81年に分裂してしまった。
当初はお互いに「自分たちこそが正統なロンドン・スコティッシュ・ゴルフ・クラブの継承者だ」と主張しあったものの、そこはさすが、イギリス。両方のクラブのメンバーだという匿名の人物から「もともと我々はスコットランドにゆかりはなく、ウィンブルドンの市民だ。無駄な争いは一刻も早くやめよう」という投書があり、市民側が軍人側へ歩み寄った。
結局、軍人側がロンドン・スコティッシュ・ゴルフ・クラブ、市民側がウィンブルドン・ゴルフ・クラブという名前に落ち着き、2つのクラブは、同じコースを使う形で再出発した。またウィンブルドン・ゴルフ・クラブは、ウェールズ公(のちのエドワード7世)にパトロンについてもらい、ロイヤルの称号を得て、現在に続く名門となった。
71年に法律が変わり、それまでスペンサー伯が管理していたウィンブルドン・コモンは、納税者の選んだ管理委員会に委ねられることになった。「コモン」はもともと市民の共有地という意味だ。乳母車を押す母親からクリケットで遊ぶ子ども、散歩に来る老人まで、広く市民に人気を博した。ゴルフ人気もうなぎのぼりで、コモンの混雑ぶりは看過できない状態になった。