ウィンブルドンとイギリスのゴルフ史

ロイヤル・ウィンブルドン・ゴルフ・クラブ


そこへ、ウィンブルドン・タウン・ゴルフ・クラブという新しいクラブもできた。ゴルファーの打ったボールが一般人に当たるなど、深刻な被害も増え、ゴルフ批判が高まった。一般市民を守るため、ゴルファーは遠くからでも目立つようにと赤い上着の着用を義務づけられたのが92年である。

その後も、7ホールだったコースを18ホールへ拡大していったものの、混雑は悪化する一方だった。私の師匠である大塚和徳先生によると、1907年には1日平均164ラウンドだったというから、いかに混んでいたか容易に想像がつく。


筆者が最近散策したアメリカのボストン・コモン。本場ウィンブルドンとは比べられないが、その素晴らしさは格別である。

07年、ロイヤル・ウィンブルドンは、コモンの中でも住宅街から離れた農場の一画へ移転した。新しい18ホールを設計したのは、全英オープンを2回制覇していた、マッセルバーグ出身のウィリー・パーク・ジュニアである。以前ご紹介したサニングデール・ゴルフ・クラブのオールド・コースなど、いくつも名コースを残した設計家だ。しかし、クラブ委員が運営に口を挟みすぎて、彼の意図とはまったく違う酷いコースとなってしまった。

そこで19年に当時のキャプテンであるスティーブン・フェアバーンがポケットマネーをはたいて、これまた史上最高のゴルフ設計家、ハリー・コルトにコースの改造を依頼。24年に、美しい森に囲まれた現在のロイヤル・ウィンブルドンの形が整えられた。

ウィンブルドンだけでこれだけの話題があるとは、イングランドのゴルフも相当深い。ファンにはたまらない魅力であろう!


ウィンブルドン・コモンでプレイする筆者。イギリスのゴルフ史に残る偉大なゴルフ場だ。


こいずみ・やすろう◎FiNC 代表取締役CSO/CFO。東京大学経済学部卒。日本興業銀行、ゴールドマン・サックスで計28年活躍。現役中から、インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢・発起人、TABLE FOR TWO Internationalのアドバイザーなど社会貢献活動にも参加。お金のデザイン社外取締役、WHILL、FC今治のアドバイザー。

文=小泉泰郎

この記事は 「Forbes JAPAN No.37 2017年8月号(2017/06/24発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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