『スター・ウォーズ』に魅せられた少年
ロニー・アボヴィッツは1971年、オハイオ州クリーブランドでイスラエル系移民の両親のもとに生まれた。子どものころからコンピュータとSF小説に夢中だった。
「僕らの世代は、スティーブ・ジョブズやジョージ・ルーカスに影響されて育ったおかげで、頭の中がおかしくなった(笑)。僕や友人はみんな、ルーク・スカイウォーカーになってダース・ベイダーを倒し、C-3POを組み立てたいと夢見ていたね」
アボヴィッツが11歳のとき、一家は南フロリダに移住。通常より1年早い13歳で高校に入学し、卒業後はボストンのマサチューセッツ工科大学(MIT)に合格していたものの、地元マイアミ大学への進学を選び、家族の近くにとどまった。94年に機械工学の学士号を、その2年後に医用生体工学で修士号を取得。そして再び、『スター・ウォーズ』の世界に思いを馳せるようになった。
アボヴィッツが最初のスタートアップ「Z-KAT(ズィーキャット)」を共同創業したのは97年。
「『スター・ウォーズ』に出てくる“医療ドロイド”を作ることにしたんだ。じつは、本当は違うものを作りたかった。でもせっかく大学を出たのに、(同じく『スター・ウォーズ』に登場する)Xウィング戦闘機を作りたいなんて親には言えなかった」とアボヴィッツは振り返る。
04年になると、アボヴィッツと数人の共同創業者はZ-KATのロボット工学チームを「Mako Surgical(マコ・サージカル)」という新会社として独立させ、整形外科医の手術を補助するロボットアームを開発した。この製品への需要は高く、同社は08年に上場を果たし、5,100万ドルを調達した。
マコ・サージカルを経営する一方、結婚して幼い娘もいたアボヴィッツは、自分のクリエイティブな欲求へのはけ口を、「Hour Blue(アワー・ブルー)」と名付けたプロジェクトに見出した。これはアボヴィッツ自身が作り出した空想世界だ。そこは異星人の住む惑星で、言葉を話すロボットや空を飛ぶクジラなど、風変わりな生き物であふれている。10年、アボヴィッツはこのプロジェクトをマンガ化・映画化したいと考え、「マジック・リープ・スタジオ」という新会社を設立した。
アボヴィッツはマコ・サージカルで稼いだ資金の一部を投じて、ニュージーランドに拠点を置く特殊効果の専門スタジオ「Weta Workshop(ウェタ・ワークショップ)」と契約した。『ロード・オブ・ザ・リング』三部作を手がけたことで知られる会社で、アボヴィッツは物語の構想に基づいて実際の映像制作などを依頼した。
その一方で、アボヴィッツは、ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』やヴァーナー・ヴィンジの『レインボーズ・エンド』といったSF小説に触発されていた。そしてフィクションの世界に登場するARやVRが現実の世界に存在しないことに不満を感じ、実現する方策はないかと考え始めた。
ウェタ・ワークショップのCEOで、マジック・リープの役員でもあるリチャード・テイラーは、「不思議な時期でしたね。現実とSFの世界が融合し始めたんです。アワー・ブルー向けに私たちが作っていた仮想世界が、ちょうどロニーが模索し始めた現実世界のMR技術と並行して、発展していきました」と振り返る。
11年、会社はMRの開発に専念することにし、企業名を「マジック・リープ」に変えた。アボヴィッツは少人数のチームを雇い、ほどなくして試作品を完成させた。アボヴィッツは言う。