ビジネス

2016.05.09 15:00

渋谷の再開発をリードする東急不動産の挑戦


「残業続きで徹夜も多かったのですが、大晦日に除夜の鐘を聞いていたら、ふと『証券化ができるまでタバコをやめてみるか』と思いました。禁煙に何度も失敗したヘビースモーカーでしたが、仕事のプレッシャーがかかるんだったら、体にも全部プレッシャーをかけて、どこまで耐えられるかやってみようってね」

除夜の鐘に禁煙を誓い、3月、商業施設を裏付けに日本で初めて格付けを取得した社債を発行。これが以降の会社の財務強化への道筋となった。

2007年、大隈は銀座の数寄屋橋にある銀座東芝ビル跡の再開発に乗り出す。「銀座で1,000坪のまとまった土地、しかも道路に囲まれている。これは、やるしかないと突っ込みました」と言うが、翌年、リーマンショックに見舞われた。これは「東急プラザ銀座」として3月オープンとなり、「苦節9年、やっとキャッシュフローを生み出します」と笑う。

その後、渋谷の地権者たちと再開発の合意を取り付けたところで、経営企画統括部に異動。目にしたのは1953年の創業時に会長の五島慶太が述べた設立趣意書だった。田園都市開発を行ってきた東急が、今後、「三井不動産や三菱地所など一流の不動産会社と伍して大いに事業を拡張し、国家的事業に進出せしめたい」と述べ、「渋谷駅付近に、4〜5カ所高層ビルを建てて、渋谷を中心とする地区の発展整備に資したい」と書いてある。60年前、まだ高層ビルがなかった時代だ。五島慶太翁の先見性に感服した。

また、経営企画統括部で、彼はデベロッパーが対応できていなかった「小さなニーズ」に応えるため、東急不動産、東急リバブル、東急コミュニティーの3社を一体化する。これが現在の東急不動産ホールディングスとなった。

「課題である以上、できないではなく、やるしかない。これは天が与えた試練だと発想を切り替えて、みんなでともに努力すればいいんです」

そして彼は鷹揚にこう笑う。

「18年前に除夜の鐘を聞いたときから、まだ1本もタバコを吸っていません」

おおくま・ゆうじ◎1958年広島県出身。横浜市立大学商学部卒業後、82年に東急不動産入社。2008年執行役員ビル事業本部長、11年取締役執行役員経営企画統括部統括部長、13年東急不動産ホールディングス取締役執行役員に就任。15年4月から現職。57歳。

藤吉雅春 = 文 佐藤裕信 = 写真

この記事は 「Forbes JAPAN No.22 2016年5月号(2016/03/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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