「アジアの人も欧米の人も、あそこで写真を撮りたがるんですよね」
東急不動産ホールディングスの社長・大隈郁仁が指すのは、渋谷のスクランブル交差点だ。渋谷の魅力を大隈は「猥雑さ」と言い、それが凝縮されたのが交差点。猥雑さの受け皿として、東急不動産は「広域渋谷圏」と名付けて再開発を進める。
「街へ来る人の目的も年齢層も、みな違う。中学校から大学まで学校があるし、一杯飲み屋の横町、ラブホテルやライブハウスのある円山町、松濤や代官山の高級住宅街や文化発信地たるBunkamura。
今ある多様性の延長線上で、足りないものをどうやって付加していくかが渋谷の再開発だと思うんです」
渋谷に集まるゲームクリエイターやIT企業は多いが、成長するとオフィスが手狭になり、渋谷を離れてしまう。そこで、駅周辺を高層化してオフィス空間を提供する一方で、猥雑さや裏路地を残す。地権者による「まちづくり協議会」と協議しながらの再開発だ。ここが従来型の再開発と異なる点である。
「供給過多の世の中で、供給側の論理でモノをつくっても受け入れられません。過去のビジネスモデルを踏襲していたら、そっぽを向かれてしまいます」
先輩から教えられたことだけを基準に考えても、難題は解決できない。こうした大隈の発想の原点は、バブル崩壊後、会社が直面した経営危機に遡る。当時、東急不動産は膨大な不良債権を抱え、株価が低迷。財務体質は脆弱化した。「開発案件の情報が入っても、資金を投入できなくなっていた」と言う。
このとき、彼が目を付けたのが、1998年9月施行のSPC法(旧資産流動化法)、つまり不動産の証券化である。
「証券化をやらせてくださいと、会社を説得しました。かなりギリギリのタイミングだったので、99年3月末にはSPC(特別目的会社)が資金をファイナンスして当社から物件を買わなければならず、会社からは『無理だろ』と言われました」
しかし、証券化を目指した千葉県佐倉市の染井野ショッピングセンターは、大隈たちがつくった施設だ。会社が危機的状況だからと、苦労してつくった商業施設を第三者に簡単に単純に売却することには疑問があった。そこで彼は、投資家の関心を集めるべく、「証券化第一号」を目指すと宣言したのだ。