見直すべき「運動」という名の処方箋

illustration by ichiraku / Ryota Okamura

パンク寸前と言われる社会保障費。年々増加する一方だが、薬物より安く、脳卒中の死亡率抑制効果が薬物の10倍という処方箋をご存じだろうか?

あなたが医師であれば、以下の30歳独身男性患者に何を処方するだろうか?

主訴:気分が沈んで、日々が楽しくない。
経過:職場だけではなく自宅でもパソコンの前に向かうことが多い。しかし、気分が沈むきっかけは思い当たらないという。夜もほとんど眠れていない。最近、物忘れが著しく、認知症も心配。年収は2,000万以上で、同世代と比較しても恵まれているが、仕事自体は激務で、昼夜の区別も休日もない。朝、昼はコンビニ食、夜は外食、自宅で仕事をする際はスナック菓子をつまみながら。通勤・移動はタクシー。3年前から肥満、糖尿病、高血圧、高脂血症を合併。慢性的に腰と膝に痛みもある。

日本では、抗うつ薬、睡眠薬、血糖降下薬、降圧薬、スタチン、抗炎症剤が処方されるかもしれない。しかしハーバードは「運動処方箋」を切るのだ。運動であれば、何種類も薬を処方する必要はないし、薬を半永久的に内服する必要もないし、基本的に無料。しかも副作用はないどころか、運動後は気分がすっきりし、高揚さえする。

ハーバードが運動の重要性を強調するのには科学的根拠がある。

40万人を平均8年フォローした調査結果によると、週に3〜5時間ランニングなどしっかりした運動をすれば、全く運動しない人(現代人の多くが当てはまる)に比べて死亡率が4割前後も下がる。

50歳の各国男女14万人を4年間フォローした研究では、その人たちの握力(測定を反映している)を「弱い」から「強い」に並べ3等分して比較したところ、強い人たちの死亡率は弱い人たちに比べ37%も低かった。細かく見ても、心筋梗塞や脳卒中だけでなくがんによる死亡率も20%以上減少。肺炎、転倒、骨折による死亡率も数分の一まで激減している。

また疾病予防にも寄与する。乳がんや大腸がん、うつ病や認知症の発症さえも抑える点は、十分な科学的根拠がありながら、あまり知られていない。

すなわち、運動はさまざまな疾患を予防し、死亡率を改善するのだ。逆に、一つの薬剤で、こんなによく効くものは存在しない。先のデータは薬を使っている患者も含む。しかし、心筋梗塞の死亡率抑制効果は薬物と同等、脳卒中の死亡率抑制効果に至っては薬物の10倍近く有効という、最新のランダム化臨床試験と34万人のメタ解析の結果もあるくらいだ。

私はヒポクラテスの教えを思い出した。

患者を害することなかれ-このことが何より優先されるべきである。多過ぎもせず、少な過ぎもしない、適切な量の栄養と運動を与えること、これが健康になる最も安全な方法なのだ。

うらしま・みつよし◎1962年、安城市生まれ。東京慈恵会医科大卒。小児科医として骨髄移植を中心とした小児がん医療に献身。その後、ハーバード公衆衛生大学院にて予防医学を学び、実践中。

浦島充佳(東京慈恵会医科大教授) = 文 ichiraku/岡村亮太 = イラストレーション

この記事は 「Forbes JAPAN No.20 2016年3月号(2016/01/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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ハーバード・メディカル・ノート「新しい健康のモノサシ」

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