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「最近、お子さんと散歩に出かけていますか?」と私は小児科外来で乳幼児の母たちに問いかける。新型コロナウイルス感染症の災禍、母たちの表情は硬い。たいがいは「最近1カ月は一歩も外に出ていません」と答えが返ってくる。

そこで私は決まってこう尋ねる。

「今日病院に来るのに久々に外に出てどうでしたか?」

ある母親は「青空と新緑のコントラストがとってもきれいでした」と、はじめて明るい表情を浮かべた。

その言葉で私は福島原発事故後に伊達市の保育園を訪れた時のことを思い出した。

2011年3月11日、東日本大震災、津波、そして福島原発事故が発生した。原発周辺住人は避難した。しかし、さらにその周辺の市は避難の対象とはならなかった。縁あって私は環境中の放射線レベルの比較的高い桑折町のアドバイザーを委嘱されるなど福島県にしばしば足を運ぶ機会に恵まれた。

当時、福島の人々は、放射線被爆が健康にどのような影響を及ぼすのか、風評被害などで将来が見えない、といった不安とストレスに苛まれていたと思う。健康被害と社会活動のバランスを求められる点で現状と重なる部分が多い。放射線もウイルスも目に見えない、要するに「目に見えない大災害」なのだ。

しかも将来がどうなってしまうか専門家でさえもわからない曖昧さ。災害直後がボトムである場合と異なり、年余にわたり見えない恐怖と共存するストレスに耐えなくてはならない。

震災から4年経った2015年5月、私は桑折町の隣、伊達市の保育園を訪れる機会があり、その際に園長先生からこう切り出された。

「先生、原発事故が起きた2011年頃、園児たちが保育士にかみつくようになったんです。しかも半分の園児たちがですよ。震災前にこんなことはまったくなかったのに。かむ子たちが成長すると先生の話をじっと聞かずに歩き回ったり、他の子に暴力を振ったりするようになってしまいました。一体これはどうしたことでしょうか?」

よくよく話を訊くと、つい1年前までは厚生労働省からの通知を受けて、園児らを外に出さない、窓を開けない、長袖を着せる、という方針であったという。

園の窓の外には雲ひとつない真っ青な空が見えた。新緑が陽を反射して黄金色に輝いている。広い園庭で園児たちの楽しそうに走り回る声がする。そこで私は園長先生にこう質問した。

「園長先生、昨年通知が解除されて外に出られるようになったということですが、園児たちの今の様子はどうですか?」

「そう言われてみるとかみつきも多動も最近はあまり見なくなりました」

私は外来で母たちに伊達市のエピソードを交えつつ「新型コロナウイルス流行のなかでも、心の健康を保つために親子で外に出て、初夏の澄んだ青空、路上に咲く花、鳥のさえずり、若葉の香りを感じてください。こんなときには、自然が一番の治療薬です」と、話すようにしている。


うらしま・みつよし◎慈恵医大医学部卒、ハーバード公衆衛生大学院卒、疫学、危機管理学などを学ぶ。小児科専門医として週5日外来診療する傍ら慈恵医大教授として新しい予防医学を開発中。

イラストレーション=ichiraku / 岡村亮太

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