彼女こそ、“イノベーション女子”の先駆けだろう。
74歳、現役スタイリストの高橋靖子、通称“ヤッコさん”。1960年代、確定申告書の職業の欄に、日本で初めて「スタイリスト」と記した。「あなたがスタイリストという言葉で申告する第1号。だから、続く後輩たちのためにも頑張りなさい、と税務署の方に言われたの」
いま、そんなふうに声をかけてくれる他人がどれくらいいるだろう、と考えるとうらやましくなる。
デヴィッド・ボウイやイギー・ポップらの日本での衣装を手がけ、壮大な音楽史を近いところで見つめてきた。でも、初めからスタイリストを志していたわけでは決してない。大手広告代理店から、広告制作会社へ。そのなかで、とにかく好きだったのが、現場での“お使い”だった。
街に出て、自分でも想像しなかったような面白いものを見つけ、「こんなもの見つけた!」と持ち帰っては皆に喜んでもらう。それがスタイリストとしての原点となった。
なんといっても第1号だから、自分に「スタイリスト」と名乗る資格があるのか、なかなか確信を持てずにいた。どうすれば、自信が持てるのか。周りの人々は、「アメリカのスタイリストはこうだった」といつも口にする。だったら、自分の目で“本物”を見に行くしかない。仕事を始めて3年目、ニューヨークに渡った。「一流といわれるカメラマンやモデルのいる現場を実際に見て、自分がやっていることでいいんだ、とようやく確信を持てるようになりました」
70年代当時から神のような存在とされていた、写真界の巨匠リチャード・アヴェドンのスタジオにも、入れて貰うことができた。そのときの情景は、いまでも事細かに思い出す。
高橋は好奇心に従い、タイミングを逃さず行動してきた。デヴィッド・ボウイとの仕事も、一本の電話がきっかけ。街中で偶然写真を目にし、「この人面白そう」と事務所に電話したことから、すべてが動きだした。「私は、自分のやっていることを“偉大なる隙間産業”だと思っているの。世の中のいろいろな隙間を見つけて、そこから入り込んじゃう」
今年7月、体験をつづった『時をかけるヤッコさん』を上梓した。書き続けていたら、自分の文体を見つけられた気がして、「まだまだ進化できる」という思いがあふれてきたという。「考えていることがいっぱいで、頭がパンクしそうなのよ」
頭の中の多くを占めていることがある。4歳までの戦争体験。自分なりに「クリエーティブな方法で」世に伝えられないか。いま、そんなことを考えている。
たかはし・やすこ
1941年生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、大手広告代理店、広告制作会社を経て、フリーランスのスタイリストに。最近ではリリー・フランキーや中村達也らのスタイリングを手がけた。近著に『時をかけるヤッコさん』(文藝春秋刊)。