大企業は、そのような自己拡大の政治的コストや社会的コストを考えたことがあるのか。短期的な利益のために、長い期間にわたってモラルが低いと評価されることが、本当に賢明なのか。
実際、殆どの企業は、滅多にロビー活動をしない。国政レベルでのロビー活動は、殆どが大企業に限られている。なぜ、大企業のリーダー達が、政治を通じて資金を受け入れるより、自社の優位性を活かして富を創造する方が戦略的に優れていると理解しないのだろうか。
幸いなことに、殆どの企業は、明言はしていなくても、これらのトレードオフを少なくとも理解していることが判明している。偉大な学者であった故ゴードン・タロックが述べているように、ロビー活動による明らかな成果は、一般に信じられているよりも、はるかに小さい。ロビー活動による「投資」の全体像を知ることは困難であるが、簡単な分析によれば、ロビー活動に費やされているのは年間100億ドルに満たず、これに対して、政府から推定1,000億ドルの援助がなされている。タロックは、ロビー活動の費用が一般に考えられているよりも高い一方で、利益が低い理由として、以下の4つを挙げた。
第一に、複数の企業が一つの政府の交付金を巡って競争している場合には、「くじ引き」的な状況が発生し、1社が大きく勝っても、敗れた企業にもロビー活動の費用が生じているために、全体として企業の見返りは小さくなる。
第二に、ある企業が一人の政治家の支持をロビー活動に費用を使って獲得できたとしても、企業とその政治家は、必要な数の他のメンバーとも依然として交渉しなければならないのが通常であり、これによって、追加的な政治的投資が必要になる。
第三に、殆どの人が政治的な特別扱いは、不当であると考えているため、企業と政治家は、カバーストーリーを作るために、さらに時間と費用が必要になってしまう。GMの救済は、数百万ドルの全国的な広報活動によって可能になった面もあり、同社は、愛国的ノスタルジアで自らを覆った。GMは、相当な決定権限を政府に明け渡してもおり、オバマ大統領によるCEOの解雇すら甘受した。
最後に、時が経つにつれて、市場は政府の特典による見返りに適応して効果が小さくなってしまうが、受益者は、それでも、失われつつある利益のために引き続き投資しなければならない。ニューヨーク市の認可タクシーと、UberやLyftなど新しいライドシェアリング・サービスとの間の戦いを考えてみるといい。
このような事を考えても、ロビー活動は、予想より少ないように思われる。これは、多くのビジネスマンが節度を持っており、稼いだ収入の方が、与えられた収入よりも優れていると考えていることを示している。これによって、ワシントンに頼ることが相当程度予防される。エコノミストのヨーゼフ・シュンペーターが、随分前に言ったように、平均的なビジネスマンは、「放っておいて欲しいし、政治には関わりたくない。」
「アダム・スミス」問題も、ロビー活動が低調な理由である。学者達は、長いこと、 国富論における自己利益の主張と、初期の道徳感情論における「他者への共感」メッセージとの間には緊張関係があると指摘してきた。アダム・スミスが観察したように、多くの人々は、二つの価値観を同時に持っている。すなわち、「他者を思う」価値観によって、お互い平和的に共存し、ホッブス的な「万人の万人に対する闘争」から逃れ、また、自己利益によって、貿易、自由市場、富の創造を可能にする、ウィンウィンの関係を探求するのである。
一般の人々、そしておそらくは多くのビジネスマンにとって、縁故主義は、政治的な「抜け目のない取引」であり、自発的なウィンウィンの関係や、資本主義そのものを脅かすものに思われる。これによって、ビジネス・リーダーは、彼らが熟知している世界、すなわち、政治的競争ではなく、協力と市場の創造的ミックスを特徴とする世界に集中して、縁故主義民主主義ではなく、倫理的な民主主義に近づいていくかもしれない。
しかしながら、縁故主義は、依然として、資本主義に対する深刻な脅威である。縁故主義は、否定され、正されなければならない。そのためには、自由市場の思想家とレントシーキングを拒否する資本家が、創造的に手を結ぶことが必要である。結局、資本主義は、資本家の関与なしには十分に護ることは難しい。そのような倫理的勢力、知的勢力、経済的勢力が結び付けば、経済の自由化に大きな力となり、資本主義、ひいては米国に明るい未来をもたらすであろう。