まずは7月22日〜8月27日に故郷である米子市美術館で、その後9月30日〜12月3日の期間で、京都市京セラ美術館に巡回する。
若くして世界から高い評価を受けている井田。東京藝術大学大学院在学中の2016年に現代芸術振興財団が主催する「CAF賞2016」で審査員特別賞を受賞すると、翌17年には最年少でレオナルド・ディカプリオファンデーションオークションに参加した。
その後も同年に開催したロンドンでの初の個展「Bespoke」を皮切りに、世界で活躍。2021年には、作品「End of today - L’Atelier du peintre -(画家のアトリエ)」が前澤友作によって国際宇宙ステーションに設置され話題となった。
Forbes JAPANが、世界を変える30歳未満の30人を表彰する「30 UNDER 30」の2018年度受賞者でもある井田。代表作の「Portrait」シリーズや「End of today」シリーズなどの根底にあるテーマ「一期一会」はいかにして生まれたのか。本連載では、その原点から現在地までを5回にわたって紐解く。
「勝ち気で、負けず嫌いで、ガキ大将だった」
井田が生まれたのは、1990年の鳥取県米子市。彫刻家の井田勝己を父に、4兄弟の3男として誕生した。幼い頃からアートが身近な環境にあり、自宅近くにあった父親のスタジオは兄弟の遊び場だった。自らの幼少期を「勝ち気で、負けず嫌いで、ガキ大将だった」と表現する井田。その勝ち気な性格が故に、壁にぶつかることもあったという。
ひとつの引き金は、小学校時代、父の仕事の都合で長野へ移ったこと。転校先でいじめに遭い、つらい日々を過ごした。心配した母は、井田を連れて米子へ戻るが、状況は好転しなかった。中学へ進むと今度は教師との関係にも問題を抱え、学校へは行かず、家にこもるようになっていた。
家では、母親にコピー用紙とペンを買ってきてもらい、ひたすら絵を描く生活を送った。井田の小さな部屋は、みるみる紙の山で埋め尽くされていったという。このとき、感情のおもむくままに描いていたのは自らの「手」だった。
「自分でも忘れていたんですけど、先日実家に帰ったときに親戚の叔父さんと呑んでいると、“お前は泣きながら一生懸命手を描いとったのう”って言われて。そんなこともあったなと思い出しました」