パルバース氏が日本におよそ50年暮らし、自身を「日本人」と感じるようになった裏には、数奇な運命があった。
1957年10月4日、ソ連による世界初の人工衛星「スプートニク」打ち上げ成功に衝撃を受け、UCLAでソビエト政治を学び、ハーバード大学のロシア地域研究所へ進む。だが米国学生協会から奨学金を受けてポーランドに留学したものの、同協会がCIAから違法な資金援助を受けていたことが露見、当時の米リンドン・ジョンソン政権を揺るがす大事件となった。氏はスケープゴートとしてスパイ容疑をかけられ、米国に戻ることを余儀なくされる。
そして1967年9月14日。ベトナム戦争への批判からアメリカを離れ、「まったくの未知の国だから」という理由で、日本へ。
到着したその日、空港からのタクシーの窓から東京の夜の街路を目にした氏は車内で「ぼくは死ぬまでこの国に永住するぞ、ここがぼくの国だ」と独り言を言ったという。その後、「日本人の心をもつようになった」と感じながら日本に滞在し続けた。自著『もし、日本という国がなかったら』では、「日本という国は世界にとって、なくてはならない必要な存在」とも書く。
宮沢賢治が展開した、「あなたが幸せになれないとわたしは幸せになれない」「人間は森羅万象の一つの要素に過ぎない」という世界観を愛し、「賢治は19世紀に生まれた21世紀の作家だ」と評するパルバース氏。賢治の世界観は、日本ではまだあまり周知されていない「動物福祉(アニマル・ウェルフェア)」にも当てはまるという。
日本は、菜食主義やオーガニック畜産が広がりつつあるものの、世界的にはまだまだ遅れている状況がある。その証拠に昨年8月、米サイクリングチーム銀メダリストのドッチィ・バウシュなど10名のオリンピアンが、2020年の東京五輪で使用される食材の調達について、「鶏卵は100%ケージフリー(放し飼い・平飼い)」などと東京都知事らに嘆願声明を公表したことは記憶に新しい。
今考えるべき動物福祉とはなにか。賢治が遺したある物語を軸に、パルバース氏に寄稿いただいた。
「AとBの会話」
まずは、以下AとBの会話を読んでください。
「つまりお前はどうせ死ななけぁ行かないから、その死ぬときはもう潔くいつでも死にますとこういうことで、一向何でもないことさ」(A)
「私が一人で死ぬのですか。いやです、いやです。どうしてもいやです」(B)
「いやかい。お前もあんまり恩知らずだ。犬猫にさえ劣ったやつだ」(A)
AとBが誰なのかについてはあとで明らかにするが、何にせよ、「犬猫にさえ劣る」と言われるのは決してありがたいことではないだろう。
しかし、世界には、他人を犬猫以下の存在と考えている人もいる。世界の政治家は、国内外問わず、ほかの政治家を「犬猫にも劣る」呼ばわりするのを、あなたも聞いたことがあるだろう。
いずれにせよ、上の会話では、AもBも政治家ではない。この小文では、政治家たちのことは置いておくことにしよう。ここでのテーマは政治家ではなく、他の動物のことだ。