『戦メリ』助監督が惹かれ続ける、宮沢賢治の「21世紀的良心」

ロジャー・パルバース氏


さて日本人は自分のことを、動物にとても情け深いと思っている。江戸時代初期から、捕鯨を生業とする村には記念碑が建てられてきたし、今でも屠殺場には建てられている。人間たちの食料にされるために殺された動物たちの魂を弔うために仏教の僧侶が呼ばれて、果物の供え物でいっぱいの、線香が点された祭壇の前で仏典を読む。

こういった儀式は「慰霊祭」、または「感謝祭」と呼ばれる。自分の命をつないでくれる動物たちへの感謝、その深い感情を示すものだ。

「動物を愛する国民」として

日本人にはこのように、自分たちが殺した動物に対する感謝の気持ちがある。だが、生きている間こそ人道的に扱われるべき生き物、牛や豚、鳥についてはどう感じているのだろうか? 日本人は「動物を愛する国民」の名に本当に値するか?

私には、オーガニック野菜を買うためにはなにごとも厭わない日本人の友達がたくさんいるが、彼らは、自分の食べようとする動物がどのように育っているかについては、果たして気にはなっているだろうか? メディアは人体に悪さを及ぼさない「安全な牛肉・豚肉・鶏肉」についてあれこれ書き立てる。

しかし、スーパーで買い物をする人たちのどれくらいが、自分が食べる動物の「welfare(福祉、福利、幸福、繁栄)」と自分の健康状態に切っても切れない関係があることに気づいているだろうか? 自分の食べる動物たちが「幸せ」かどうか考えることがあるだろうか?

アニマル・ウェルフェアは、21世紀の世界にとっての大きな問題の一つだ。それは概ね、「動物福祉」と翻訳される。しかし私は、多くの日本人がこの言葉の意味を本当に知っているかどうか、大きな疑問を持っている。結局のところ、「福祉」という言葉はおおむね、人間に結びつく言葉だからだ。

「動物福祉」の定義は、「人間が動物に対して与える痛みやストレスといった苦痛を最小限に抑えるなどの活動により、動物の心理学的幸福を実現する考え」である。

このことについて考えたことがあるだろうか? もちろん、あなたが可愛がっているペットの犬や猫についてではない。あなたによってやがて「食べられる」ため、育てられている動物の話だ。


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あなたは、ニワトリや、卵を産むめんどりが飼育されている檻の大きさを知っているだろうか。檻の中で歩いたり、羽を伸ばせるくらいの大きさだろうか。ニワトリたちに与えられる抗生物質やホルモンのことを知っているだろうか。そういったもののことが気にかからないのか。
 
繁殖雌豚が檻の仕切りの中で動き回れるかどうかを知っているだろうか。豚は知的で、社会的な動物で、牧草地か、少なくとも泥遊びする場所くらいは必要だ。寝転べるわらもないの檻の中で自由を奪われれば、骨粗鬆症や、神経症にだってなる。そういったことを考えたことがあるだろうか。
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文=ロジャー・パルバース 構成=石井節子

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