多くの人が、現在の学問の状況をゼロサムゲームのように眺めている。計算能力や技術スキル、そしてSTEM(科学・技術・工学・数学)の分野が、芸術や文化、言語といった伝統的な学問分野を凌駕しているという見方だ。確かに私たちは、技術の果たす役割がますます大きくなる新しい世界に生きている。しかし、それらの人文学が死んだ、時代遅れになった、あるいは若い学習者を人文学に導くべきではないと考えている人ばかりではない。
シカゴ大学のポール・アリビサトス学長は、1月のダボス会議におけるデロイトの人工知能(AI)戦略成長コンサルティング・リーダーのニティン・ミッタルとのインタビューで、こう語っている。「AIツールは大学における学びの機会を変革しつつあると考えています。私たちはコアカリキュラムによる教育を重視していますが、同時に計算的・統計的な思考を求める人々が増えているのも事実です」。
彼は、人々がAIと協働して何かを創造していく存在になる必要があるという。それは学習をはじめ、人間があらゆる面で大きな変化に適応する必要があることを意味する。
デジタル・インテリジェンスと批判的思考
ジョージ・ワシントン大学のアレクサ・ジュバン教授は科学技術のニュースメディアPhys.orgの記事で、AIを人文学のための「ヒューリスティックツール(発見的ツール)」として捉え、それによって私たちの思考がどのように変わりうるかを論じている。
「AIは流暢な文章を生成できますが、本質的な意味での思考をしているわけではありません。学生たちにAIの限界を理解させ、より良い問いを立てられるように導くのが教育者の責務です」と彼女は語る。「AIを単なる回答マシンとして扱うのではなく、探究を深め、人文学における批判的思考を再定義するための道具として活用すべきなのです」。
つまり、AIは人間の活動を支援する存在になりうるということだ。
実際、人工知能への移行について多くの専門家が語る際、「補助的な技術」という言葉がよく聞かれる。これは人間に取って代わるものではなく、人間の能力を拡張する技術を指す。意思決定支援ツールがその好例で、人間の生産性を高める役割を果たす。
これこそがAIに前向きな人々が語る、人間とAIによって生み出される相乗効果の本質だ。