漫画の連載を始めるのは『戦場に行く』こと
「——漫画の連載をすることは、危険な荒野に1人投げ出されることを想像するとしっくりくる感覚があります。心ない声の防御は、ネットの時代、自己責任の部分は大きいですし、売れたら売れたで休めない、眠れない」つまり、「誰にも守られていない」と感じている漫画家は昔から変わらず多いのではないか、という。
「背後に控える編集者さんは、『右に気をつけて』『左があいてるからそこへ向かおう』と漫画家を守るべく死力を尽くすけれど、『被弾』するのはどうしたって最前線に立つ漫画家です。当然、漫画家は傷を負いますが、編集者さんも同時に『守れなかった』と、傷を負います。
漫画家も、編集者さんも、漫画家という存在を守るにはどうしたらいいのかと、挑戦し、時に挫折し、それでも挑戦し続けているんだと思います。賛否両論あるかもしれませんが、最近では名前や顔を出して矢面に立つ編集者さんが増えた印象です。作家が安全により良い作品を作るための大きな動きの一つであると捉えています」
「連載準備期間」にたとえ魂削っても——
では、漫画家の感じる「苦しさ」の正体とは。もっと具体的に言えばどんなものなのだろう?「以前、『ネームにも原稿料を』というムーブメントがSNSで沸き起こったことがあります。
連載を始める前には、『連載準備期間』があります。
リサーチが必要な題材であればあるほど作家は、『連載準備期間』には、編集者と一緒に取材や文献を読み漁りながら『ボツ印』のついた紙の束を重ねていきます。この期間は短くて半年、長くて2 、3年です。その際の生活費は他の作家のアシスタントや、バイトで賄うことが多いです。
それでも『必ず連載にこぎつけられる』わけではない。ではその準備期間中のクリエイティブを世に出すことが叶わなかった場合、漫画家の生活、気持ちはどうなってしまうのでしょうか。
よほどの売れっ子でない限り、生活は相変わらず厳しい場合が多いと思います。同時に『命を賭して描いているものや、それにかけた時間が、まるで価値がないものの気がしてくる』ことで受ける精神面の打撃は相当なものだと私は考えています。『ネームにも原稿料を』というのは金銭を求める動きであることは否めません。が、その表面的なものの下には、自分が生きている意味が感じられなくなった心の叫びが隠れているように思います。
『生きている意味を感じられない恐怖』にうめくそんな漫画家たちに、『我慢しろ』と吐き捨てられる編集者はそうはいないでしょう。だから、彼らも、本当は『わかるよ』とつぶやいていたのではないでしょうか。
そして、『誰も見向きもしてくれない』孤独を凌駕し、たとえ連載が決定しても、待つのはコンビニやスーパーへ出かける時間でさえも惜しい不眠不休の日々。洗濯は、食事はどうするか。生活面では死活問題が待ち受けています。とくに掲載スパンの短い連載であれば、心のつながりがある誰かにそばで見守っていてもらうことの重要性は軽視できないと思っています。
連載が始まって半年で、『売れたいと思っていたけれど、今はもう、生きてこの作品が終わらせられれば、なんでもいい』と言った友人の作家がいました」
(参考:「編集者はネーム代を払うべきか」)