高橋:私も最近サンフランシスコに出張した際に完全自動タクシーのウェイモに乗ったときに、奇妙な感情が芽生えましたね。ウーバーが時間通りに来ない場合は寄り道してないかなどと疑ったりしますが、ウェイモの自動運転車が遅れたら「安全運転で来てくれているんだな」と自然と許容してしまう。不思議です。
孫:人間相手だから腹が立ってしまう場合がありますからね。
武田:現実として、AIによってクリエイティブの意味が大きく変わってきていると感じています。これまでは、目立つためや売るためなど、何かの目的のためにクリエイティブが必要でしたが、おそらく今、目的設定ができた時点で人間がつくり出す意味はなくなっていると思います。
あるいは、まだ人間のつくるクリエイティブの方がクオリティが高くても、AIが100分の1や1万分の1のコストで人間の8割程度の精度でつくれるならば、ビジネスとしてはAIの比重が大きくなるはず。
ただ、AIは人間の「つくる喜び」自体は奪えないだろうと考えています。
小さい子って、うまくもないのに絵を描きますよね。なぜ描くのか聞いてみると「描きたいから」という単純な理由。でも、その描きたいから描くという動機は、どれほど優れたAIでも奪えない。つまり、つくる行為は、それ自体を目的とし、幸せとしてとらえられるのではないか。実際のところ、AIの進化によってクリエイターやクリエイティブはどういう価値を持つようになるのでしょうか。

孫:おそらく“メリトクラシー”という、能力や努力に基づいて社会的地位や権力が分配されるべきという考えが関係してくると思います。身分関係なく、実力ある人材が重用される実力主義や実績主義とも言え、「売れている」「多くの人から認められる」といったこと自体がメリトクラシー的な考えに基づいています。
AIはメリトクラシーの最終兵器のような存在で、その世界で人間がAIに勝てるわけはありません。なぜならAIはいわば人類の集合知で、それに一人の人間が挑むようなものなので。私がAIを早く進化させたいと考えるのは、メリトクラシーを終わらせたいという理由からです。
人間の社会からメリトクラシーがなくなったら、「楽しいからやっていること」しか残らないはずです。AIは、人間の仕事を奪う・奪わないという存在ではなく、人間が楽しいことだけをできる世界にジャンプアップさせてくれる、背中を押してくれる存在だと考えています。
高橋:確かに。楽しそうに働いている人を見ると、自分まで楽しくなりますね。
孫:人間は楽しんでいる人に共感する習性を備えていますからね。メリトクラシーの世界を早くAIが蹂躙してくれれば、もう楽しんだもん勝ちという、ハッピーな世界が広がっているはずですよ。