それでも、1822年に中央アフリカで放たれた矢が、北ドイツの小さな町クリュツまで届いた理由は説明できない。この話には、別の種類の「空の覇者」が関わっている。シュバシコウという鳥だ(狭義のコウノトリの近縁種で、以前はこの種の和名がコウノトリとされていた)。
「矢コウノトリ」の物語
ドイツ語で「矢コウノトリ(arrow stork)」を意味する「Pfeilstorch(プファイルシュトルヒ)」と名づけられたこのシュバシコウは、1822年の春、北ドイツのメクレンブルク・フォアポンメルン州にあるクリュツの町に降り立った。この鳥は、ありえないような科学界への贈り物を携えてやってきた。首に深々と矢が刺さっていたのだ。矢は5000km近い空の旅の間もびくともしないほど安定していながら、首の皮膚だけを貫いていたため、この鳥は生きて渡りを完遂した。
これが科学界への贈り物と呼ばれる理由は、この時まで、鳥たちがどうやって冬を生き延びるのかが論争の的だったからだ。
1797年、英国の画家で博物学者のトーマス・ビウィックは、自身の著書『A History of British Birds(英国の鳥類の歴史)』のなかで、正しい答えの在りかを示した。地中海のメノルカ島とマヨルカ島の間で「おびただしい数のツバメが北に向かって飛ぶ」のを見たという、ある船長の証言を、信用のおけるものとして引用したのだ。
この証言は、当時広く信じられていた迷信である、ツバメは冬に冬眠するという説と真っ向から対立していた。ビウィックは、ツバメを冬に温かい部屋に入れて餌を与えつづける実験まで行い、「適切な本来の食料が十分に得られなくなると、彼らはこの国を離れる」と結論づけた。
ビウィックは、冬眠以外の説にも反論しなければならなかった。1703年、ハーバード大学のある教授は、鳥は月に渡った後、戻ってくるという説を提唱した。水中で冬眠する、さらには、他の鳥に変身するという説さえあった。
ドイツに「矢コウノトリ」がやってきたことで、こうした議論に終止符が打たれた。この鳥にアフリカの矢が刺さっていたことへの論理的説明はただ1つ、「北への渡り」だけだ。