メジャーのマントラ、実は日本のお家芸
斎藤氏は「メジャーに行ってから懐かしいことを思い出しました」という。
「仙台で過ごした子どもの頃、自転車のかごにバットとグローブを入れて、河川敷を走り、友だちと一緒に野球をやっていたときの楽しさを思い出したのです」。それはこんな経験があったからだ。
マイナーからメジャー昇格がかかった大事な試合で彼はホームランを打たれ、がっくりと肩を落とした。崖っぷちの36歳。選手生命の終わりだと彼は思った。すると、クラブハウスで打撃コーチのエディ・マレーが声をかけてきた。3000本安打・500本塁打で野球殿堂入りをした往年の名選手だ。日米野球では巨人の槙原寛己投手から本塁打を打ったこともある。マレーはこう言った。
「お前は、野球が楽しいか?」
こんな状態の時に何を言うんだ。斎藤氏が怪訝な表情をすると、マレーは質問を重ねた。
「野球を楽しまないで、ここで何をするんだ?」
そして最後にこう言ったのだ。
「Enjoy Baseball」
この言葉の意味がわかってきたのは、マウンド上の緊迫した場面や肩の調子が悪い時だった。
「試合中に、あれっ、これが楽しむってこと? と気づいたことがあります。例えば、9回裏、抑えの場面で打順はクリーンナップ。どこに投げたらゴロになるか、空振りになるかはわかります。しかし、そこに投げられないときの方が多い。どうしても無理だというとき、では、自分はどうすればマウンドで戦えるか。どうしようもできないこともすべて受け入れて、打者に挑戦する。それは自分に向き合って、自分に挑戦しているのです。そのチャレンジをやっと楽しめるようになったと気づきました 」
思えば、日本で野球をやっていた時、「こういうミスは避けよう」「これをやったら失敗する」といった禁則事項のような言葉に慣らされてきた。しかし、そこに本質はない。
ファミリーとエンジョイ。これは概念であり、思想だ。本来、この概念をお家芸に変えてきたのは日本ではないだろうか。
「徒弟制度」が疑似家族制という一種の「家(ファミリー)」のなかに存在し、技を磨くことを生涯の喜びとして(エンジョイして)きた。腕が上がれば「暖簾分け」という巣立ちのような独立がある。
近年、日本は生産効率の悪さを「働き方改革」で改善しようとしている。しかし、改革と言いながら、禁則事項を並べ立ててはいないだろうか。そこに足りないのは、誰もがストンと落ちるマントラかもしれない。その仕事には思想や概念が本当にあるのか。そんな問いを与えられた気がするのだ。
藤吉雅春(ふじよし・まさはる)◎1968年佐賀県生まれ。『Forbes JAPAN』の取締役兼編集長。2019年3月より現職。著書『福井モデル - 未来は地方から始まる』(文春文庫)は、2015年、新潮ドキュメント賞最終候補作になった。2016年には韓国語版が発売され、韓国オーマイニュースの書評委員が選ぶ「2016年の本」で第1位に。2017年、韓国出版文化振興院が大学生に推薦する20冊に選ばれた。他にも一般財団法人日本再建イニシアティブ(現:一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ)による共著に『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『日本最悪のシナリオ 9つの死角』(新潮社)や、『ビジネス大変身!』(文藝春秋)などがある。
「編集長取材録」過去記事はこちら>>宇宙の桃太郎、挑むは「人類初のスペースデブリ除去」 編集長10年取材録#2 (2019)