怒号飛ぶ会議、対立収める「GMの一言」は──
ドラフト会議でのこと。会議に備えて、球団ではGMを中心にスカウト会議が一週間缶詰になって行われるという。会議室のボードには、高校生・大学生800人のプロファイルが映し出される。上位選手になると、怒号が飛ぶ。ベテランスカウト対データ分析官の対立だ。
「お前らに一体、何がわかるんだ!」と、口火を切るのはベテランのスカウトである。
「俺はこの子を小学6年生のときから見続けて、やっと7年が経ってドラフトにかけるときがきたんだ。お前ら、グラウンドに行って、彼が走る姿や打つ姿を一度でも見たことがあるのか!」
「いえ、そういうのは見たことがありません」と冷静に返すのは、野球経験ゼロのデータマンである。彼らはパソコンの画面を指さして言う。
「僕が思うに、彼はこれだけの成績をあげているけれど、最後の年に数字が落ちています。ですから、データ的に評価できません」
目利きの経験者とデータ分析の対立の落とし所はどこか。斎藤氏が「意外だった」というのは、プロファイルの「ディティール」欄である。選手の実力とは関係がないようなエピソードがディティール欄に書いてある。「学校には自転車で通っている」「練習では、グラウンドにいちばん最初に現れる」「栄養にこだわっている」「アウトになっても、全力疾走で一塁まで走る」。あるいは、母親の性格が書いてあることもある。
そして、GMが矢継ぎ早に質問を繰り出していく。
「こいつはハングリーなのか」「戦う意思をもっているか」「人の話を聞けるのか、それとも我が道をいくタイプなのか」「三振をしたらどういう態度をとるんだ」
そして、最後にこう問うのだ。
「で、こいつは、我々のファミリーになれるのか?」
判断の決まり文句だ。
活躍できるかどうか。それは野球のうまさだけではなく、性格や集団との相性など、すべてひっくるめて判断する。その問いかけが「ファミリーになれるのか」だ。日本とアメリカの野球の違いは、「言葉」に現われている。これが斎藤氏にとっての気づきであり驚きだった。
「アメリカではロッカールームではなく、必ずクラブハウスと呼びます。俺たちは野球チームという一つのファミリーだという考え方です。ロッカールームは着替えや貴重品を入れる場所ですが、クラブハウスはテレビやソファーがあり、食事をして、そしてユニフォームに着替えたら俺たちは戦う集団になるぞ、という“家”なんです」