この3つの視点が最初に色濃く作用し合った時期は、坂木の美大時代に遡る。坂木は山口県出身。高校で生活デザイン科に進学した姉の影響で、坂木も美大を志した。伝統工芸の職人に密着したテレビ番組で「職人ってかっこいいな」と感じ、京都美術工芸大学学部 伝統工芸科 工芸デザインコースを選択した。
この学科では、最初の2年は職人から技を学ぶ。坂木は木工芸コースを選択した。ノミやカンナを使用して、木材から造形を生み出す技を習う。手仕事の工芸だけでなく、それを空間に展開することにも興味があり、大学と隣接していた京都建築大学校 建築学科建築学部にも通い、二級建築士の資格を得た。
工芸と建築、さらにバンド、持ち前の行動力、リーダーシップを発揮した大学時代だった。しかし、卒業後の進路を考える時、坂木は伝統工芸の職人になることを選択しなかった。職人の世界の中に入らず「なぜ、伝統工芸は継続が難しいのだろうか」という問いを見つめる側でいたかったという。工芸を取り巻く環境、文化に視点をおきながら、そこで生まれた問いを自分らしいプロダクトとしてアウトプットする仕事を探すことになる。
固定概念がシャッフルされた世界旅行
京都で住んだシェアハウスは「出会い」「文化」への興味関心へ導く場となった。世界一周していたシェアハウスのオーナーに影響を受け、坂木は2019年に世界へ旅立った。現地の人の家に泊まり暮らすように旅を続け、9カ月で世界19の国と地域を回った。日本人があまり行かないアルバニア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナにも行ってみた。年齢や性別、社会情勢が異なる多様な人たちの出会いの中で、京都で日本の伝統文化を守ることに焦点が当たっていた坂木の考えは大きく揺らいでいった。
「世界に出てみてわかったのは、日本のテクノロジーの高さ。日本人もまだ気づいていない独自の文化を、ただ守るだけではなくテクノロジーで守りながら変える側に行きたい」。そう決めて、東京に引っ越そうとした時、北千住でアサヒ荘の物件と出会う。東京には住みたい家が見つからず、坂木はアサヒ荘をシェアハウスとして暮らし始めた。