食&酒

2024.08.21 14:15

全力120%の積み重ね。三つ星「レフェルヴェソンス」生江史伸の20代

レストラン、レフェルヴェソンスのシェフ 生江史伸

その店では、メニューに生産者の名前が載り、野菜はオーガニック、魚は漁港から直送が当たり前。和やかな雰囲気の美味しい賄いは、時にはワインとともに楽しむことも。ランチとディナー空き時間にはみんなでランニングをして身体を鍛えた。ぼんやりと理想に描いていた「従業員の幸せから、お客さんの幸せを作る」が、実現されていた。
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3年間を過ごしたが、厨房職に空きが出なかったことから「イタリアに行って料理を勉強します」と退職。とはいえ、先立つものがない。料理でお金をしっかり稼げるところ、と考え、400席を誇る恵比寿の大箱「ゼスト」に厨房アルバイトとして入った。

ランチの11時30分から朝5時まで満席が続く。「勢いのある時代」に飲み込まれるように、がむしゃらに働いた。目指しているスタイルとは異なっていたものの「やるからには、何でも120%で」と、系列店舗でNo.1のパフォーマンスを上げて会社から表彰されたこともある。

食と農、アメリカでの衝撃

その後、カフェのシェフとして声がかかり、しばらく働いていた頃に「ゼスト」の店長だった石田が「サイタブリア」として独立。チームに加わらないかと声をかけられ、オープニングスタッフとなり、新店のインスピレーションを得ようと皆で旅したアメリカで、その後の運命を決める出会いをした。

名店を食べ歩くなかどうしても予定が埋まらない日があり、「手持ちの旅行本で見つけて、軽い気持ちで行った」という、アリス・ウォータース率いる「シェ・パニース」だ。アラカルトで頼んだシンプルな料理が「衝撃的と言えるほど美味しかった。これが自分たちのやりたい料理だ」、と石田と顔を見合わせた。
「シェ・パニーズ」のアリス・ウォーターズ(中央、2013年撮影、Getty images)

「シェ・パニース」のアリス・ウォータース(中央、2013年撮影、Getty images)

帰りの書店で、出費に迷いながらも本を購入。読んでみると、背景には農とつながる食がある、と気づいた。それは最初の師である日高シェフのスタイルとも重なった。
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2001年、現在「レフェルヴェソンス」がある場所に、前身の「サイタブリア」オープン。スーシェフとして働き、店が軌道に乗った頃、ニューヨークでの研修の機会を得る。毎食注目のレストランを訪れ、腹ごなしに歩いていると、一軒の書店を見つける。そこで新刊本として大きく取り上げられていたのが、ミシェル・ブラスの本『エッセンシャル・キュイジーヌ』(2002年刊行)だった。
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文=仲山今日子 写真=小田駿一 編集=鈴木奈央

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