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2024.08.07 08:15

たねやの近江商人哲学 バカボンと呼ばれた4代目の事業承継と成功への道

社長になった瞬間、父は身を引いた

2000年代初頭、カリスマ的存在だった父・徳次氏が病気で倒れました。病気から回復後、徐々に現場から離れていきます。そして、山本氏は2011年春、42歳でたねやの社長に就任しました。それを境に、父の姿勢が一変します。

「一番ありがたかったのは、社長就任の前日まで父親にボロクソ言われていたんですよ。黒子に徹しろと。でも、社長交代したその日からは何も言わなくなりました。全部お前が決めなあかんって」。

父・徳次氏にも、言いたいことはあったかもしれません。しかし、きちんと一線を引いて何があっても我慢する姿勢に転じました。父親の側近たちも身を引き、後継者育成にまわっていきました。

「ラ コリーナ」誕生秘話、「私は死にません!」

社長に就任した山本氏は、数々のヒット商品を世に送り出します。中でも2015年、和菓子の「たねや」と洋菓子の「クラブハリエ」の全商品を楽しめる旗艦店「ラ コリーナ近江八幡」をオープンさせます。

もともと、徳次氏が「お菓子の館」というテーマパークの構想を持っていました。しかし、全国各地に乱立したテーマパークの失敗例を見ていた山本氏は、近江八幡の原風景を取り戻すことの方が必要だと考えていました。

国内外で意見を聞いて回る中、イタリアの建築家兼デザイナー、ミケーレ・デ・ルッキ氏と出会い「ラッコリーナ」という言葉を知ります。イタリア語で「丘」という意味の言葉は、山本氏の目指したいイメージにぴったりでした。

「お菓子の館」建設は途中まで進んでいました。それでも山本氏は、違約金を支払ってまで計画を変更します。銀行も猛反対しますが、山本氏は「父親は私より先に死にます。父が言ったことを続けるのはおかしい。私は死にません」と伝え、銀行を説得しました。

「ラ コリーナ近江八幡」は、2022年には入場者321万人を集め、2位の多賀大社の160万人を大きく引き離し、7年連続で滋賀県ナンバー1の観光スポットとなっています。

滋賀をオーガニックの街に


たねやグループの「根幹」を示すような企業があります。

グループの構成企業は、和菓子の「たねや」、洋菓子の「クラブハリエ」に加え、農業の会社「キャンディーファーム」があります。山本氏は「地球温暖化などが進む中で、私たちの菓子のために作ってもらっているものを、自分たちでしっかり育てるということが大事だと思いました」。

キャンディーファームでは、東京農業大学や立命館大学などと協力し、土づくりから始めています。滋賀県をオーガニックの町にすることを目指し、まずはオーガニックブランド作りの拠点として展開させていく計画です。

山本氏は「現在は100年、200年後に続く未来の点にすぎません。ほんの一瞬だけ私はたねやをお預かりしている。返せるときは今よりも綺麗な形で神様や地球にお返しする。そういう環境づくりをしなくてはいけないと思っています」。その思いを具現化するのが、キャンディーファームかもしれません。

「地球温暖化をはじめ、さまざまな社会課題がたくさん出てくると思います。この先の当主が、あの時1本の木を植えてくれたことで今があるんだとか、あの水を綺麗にしてくれたから美味しい水が飲めるとか。オーガニックの野菜が食べられるのは4代目が初めてくれたからだとか。そういう環境づくりをしていきたい」。その言葉には、たねやの根幹である「天平道」「黄熟行」「商魂」がしっかりと根を張っていました。


(本記事は、事業承継総合メディア「賢者の選択 サクセッション」の記事前編後編を編集しています。)

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