事業承継総合メディア「賢者の選択 サクセッション」から紹介しよう。(転載元の記事はこちら)
幼いころから「後を継ぎたい」という思いがあった
「ジャパネットたかた」を全国区にしたカリスマ創業者・髙田明氏の後継者になったのが、当時35歳の長男、旭人氏だった。自らテレビに出演する「カリスマ」の父と異なり、メディア露出は少ない旭人氏は、どのような人物なのか。旭人氏が生まれ育ったのは長崎県・佐世保市。中学校からは福岡市の進学校に通うため親元を離れ、東京大に進んだ。実家に暮らした小学生時代は、まさに通信販売事業の黎明期だった。
当時のジャパネットに24時間対応のコールセンターはなく、19時から21時は自宅に注文の電話が転送され、母親(明氏の妻)が対応していた。
このため、髙田家には「テレビを見ているときも、電話が鳴ったら音を消す」というルールがあった。旭人氏は、小学生ながらに「テレビを見たいけど、電話が鳴ったらお父さんの会社の売上が上がるんだ」と感じていたという。
幼い頃から旭人氏は後継ぎになることを意識していた。両親から頼まれたことは一度もないが、「両親が喜ぶだろう」と考え、「お父さんの跡を継ぎたい」と自ら宣言したという。
そして、「継ぐために何をするか」という発想でさまざまな選択した。「後を継いだら、僕が何を言っても、社長の息子だから聞き入れてもらえるだろうけどそれは嫌だ。きちんとした、社員がついてくる社長になりたい」と考えて東大に進学した。
入社直後にジャパネットは大ピンチ
最初の就職先は、「親の会社に戻ることを見据えて、日本一営業が厳しいところで働こう。入口がきつかったら後が楽だろう」と考え、2002年に証券会社に入社した。しかし、2004年にはジャパネットに入社している。それは、ジャパネットが大ピンチを迎えたからだ。ある日、母から急に電話があり、「ジャパネット終わってしまうかもしれない」と伝えられた。顧客情報約51万人分が流出する不祥事が発覚していた。
旭人氏は、数学専攻だったこともあり、入社直後から事件調査委員会のメンバーとして、分析作業に奔走することになった。そのとき、カリスマ経営者としての父の姿を目の当たりにする。
父・明氏はすぐに全商品の販売を停止し、48日間にわたって一切の商品販売をストップした。社員を集め、「会社は止まるが、あなたたちの頑張りで余力はあるから、給料は払える。みんなで乗り切ろう」と呼びかけた。半数くらいの社員が泣いていた。
旭人氏は「すごい経営者だというインパクトでした」と振り返る。