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2024.06.10 11:15

ジャパネットたかた2代目社長、父との対立も。カリスマ経営からの脱却で業績伸ばす

通信販売といえば、誰もが知る「ジャパネットたかた」。自らテレビに出演して甲高い声を響かせた名物社長の実父・髙田明氏から、2015年に経営を引き継いだのが、ジャパネットホールディングス(長崎・佐世保市)2代目社長の髙田旭人(あきと)氏だ。メディア露出は少ないが、カリスマ頼みの経営から脱却し、売上をどんどん拡大させ、2021年には過去最高売上を更新した。旭人氏は、どのように「有名カリスマ社長」からの事業承継を成功させたのか──。

事業承継総合メディア「賢者の選択 サクセッション」から紹介しよう。(転載元の記事はこちら

幼いころから「後を継ぎたい」という思いがあった

「ジャパネットたかた」を全国区にしたカリスマ創業者・髙田明氏の後継者になったのが、当時35歳の長男、旭人氏だった。自らテレビに出演する「カリスマ」の父と異なり、メディア露出は少ない旭人氏は、どのような人物なのか。

旭人氏が生まれ育ったのは長崎県・佐世保市。中学校からは福岡市の進学校に通うため親元を離れ、東京大に進んだ。実家に暮らした小学生時代は、まさに通信販売事業の黎明期だった。

当時のジャパネットに24時間対応のコールセンターはなく、19時から21時は自宅に注文の電話が転送され、母親(明氏の妻)が対応していた。

このため、髙田家には「テレビを見ているときも、電話が鳴ったら音を消す」というルールがあった。旭人氏は、小学生ながらに「テレビを見たいけど、電話が鳴ったらお父さんの会社の売上が上がるんだ」と感じていたという。

幼い頃から旭人氏は後継ぎになることを意識していた。両親から頼まれたことは一度もないが、「両親が喜ぶだろう」と考え、「お父さんの跡を継ぎたい」と自ら宣言したという。

そして、「継ぐために何をするか」という発想でさまざまな選択した。「後を継いだら、僕が何を言っても、社長の息子だから聞き入れてもらえるだろうけどそれは嫌だ。きちんとした、社員がついてくる社長になりたい」と考えて東大に進学した。

入社直後にジャパネットは大ピンチ

最初の就職先は、「親の会社に戻ることを見据えて、日本一営業が厳しいところで働こう。入口がきつかったら後が楽だろう」と考え、2002年に証券会社に入社した。しかし、2004年にはジャパネットに入社している。

それは、ジャパネットが大ピンチを迎えたからだ。ある日、母から急に電話があり、「ジャパネット終わってしまうかもしれない」と伝えられた。顧客情報約51万人分が流出する不祥事が発覚していた。

旭人氏は、数学専攻だったこともあり、入社直後から事件調査委員会のメンバーとして、分析作業に奔走することになった。そのとき、カリスマ経営者としての父の姿を目の当たりにする。

父・明氏はすぐに全商品の販売を停止し、48日間にわたって一切の商品販売をストップした。社員を集め、「会社は止まるが、あなたたちの頑張りで余力はあるから、給料は払える。みんなで乗り切ろう」と呼びかけた。半数くらいの社員が泣いていた。

旭人氏は「すごい経営者だというインパクトでした」と振り返る。
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