SMALL GIANTS

2024.06.10 11:15

ジャパネットたかた2代目社長、父との対立も。カリスマ経営からの脱却で業績伸ばす

「カリスマについて行くだけでいいのか」

入社当初は社長室に所属し、会社の状態を把握。1年後にバイヤーチームとメディアチームを合わせた部隊の責任者となった。

その後、副社長を務めていた母の提案で「あなたは実績がないから、一人で離れて結果を出しなさい」とコールセンターと物流センターを担当することになり、福岡拠点の責任者を任された。

当時のコールセンターは、配属された社員のうち3分の2が1年以内に離職する「ブラック職場」だった。クレームに対応してくれない上司などの問題をあぶり出し、7年かけて組織を立て直した。

また、愛知県に物流センターを立ち上げ、配送業者と協力して、顧客に対して家電の設置工事をする仕組みを構築した。

父と対立続きだった専務・副社長時代

旭人氏には「カリスマ経営者についていくだけの社員より、一人ひとりの社員が考え、自分の意思で動いたほうが何倍も成果が出る」という仮説があった。コールセンターと物流センターの取り組みを通して、仮説の正しさを確信したという。「カリスマ経営からの脱却」は、このときすでに旭人氏の頭にあったのだ。

旭人氏が社長を継ぐ直前の数年間、明氏とは常に「バチバチだった」という。会社のために意見を言う旭人氏に「そんなに言うならおまえが社長をやればいいだろう」と何度も言われた。

家電エコポイント制度の反動で売り上げが低迷した2011年、旭人氏は本社に戻り、販売の担当に着任した。

このとき明氏は「来年、過去最高益を達成できなければ社長をやめる」とメディアに驚きの宣言をする。旭人氏が社員50人を引き連れて東京に行き、バイヤーを旭人氏、販売は明氏という「大変な組み合わせ」で過去最高益を目指すことになった。

ここでも二人は火花を散らした。旭人氏が選んだ商品への「ダメ出し」は日常茶飯事。買いつけた商品が売れなかったときには、「商品(を選んだ旭人氏)が悪いのか、売り方(を担当している明氏)が悪いのか」のバトルが勃発した。

さらに、月曜から金曜の同じ時間帯に放送されるジャパネットのテレビ番組を巡り、月・水・金を明氏が、火・木を旭人氏が担当し、「どちらが優れているのか白黒つけよう」となったことも。父と子のライバル関係は長く続いた。

父子の対立が頂点に達したのは「ジャパネットチャレンジデー」という企画だった。24時間限定で特定の商品を衝撃価格で販売するという、旭人氏発案の企画だった。
次ページ > 有名カリスマ社長から事業承継が成功した理由

ForbesBrandVoice

人気記事