映画

2024.06.29 14:15

50年前の想像がすごい。猛暑で食料不足の「エグいディストピア」│映画「ソイレント・グリーン」

警官のロバートも携帯電話を持たず、街角の公衆電話を使っている。これは、あるところでピークに達した文明社会が、退化に向かっている徴として捉える方がいいのかもしれない。

退化と言えば、街に溢れる一般市民は皆、色味のない地味な服装に、男性は布の帽子、女性はネッカチーフを被っており、あたかも20世紀初頭の工場労働者のようだ。小さな部屋をソルと共同で所有しているロバートも、いささか生活にくたびれた格好をしている。
(c)2024 WBEI

富裕層にも幸せそうな人は登場せず、サイモンソンの家にいる若い女性シャールは「家具用の女」と呼ばれている。美しく着飾っていつも家の中にいる鑑賞用・愛玩用の女であり、主人が替わると次の主人に仕えるので家付きの「家具」ということなのだ。女性=家具というこのあたりの発想も、『時計じかけのオレンジ』に登場したマネキンのテーブルを思い起こさせる。

ロバートはサイモンソン暗殺の謎を探るためシャールに接近するのだが、尋問の前に酒を要求したり、室内で見つけた高級石鹸やタオルや食料を、酒瓶と一緒に袋代わりにした枕カバーに放り込んで持ち去るなど、警察倫理に反した行動をとっている。そればかりか、ベッドに横たわり服を脱ぎ出すシャールを咎めもせず、当然のようにベッドインするイージーさだ。

映画「ソイレント・グリーン 《デジタル・リマスター版》」は5月17日(金)よりシネマート新宿ほか全国順次ロードショーで公開中(c)2024 WBEI

こうした男性の描き方は007などのスパイものの影響もあるだろうが、ポイントは、「家具用の女」シャールが「贅沢品」の象徴として登場しているということだ。ロバートにとって、「性」と「食」はもはや満たされることのなくなった贅沢品なのだ。だからシャールの内面はほとんど描かれず、2人は束の間求め合うものの人間的な関係性を結ぶことはない。

「家具用の女」は、ロバートが犯人の目星をつけたサイモンソンの警護タブの家にもいた。そこで彼女はイチゴジャムの瓶から美味しそうにジャムを掬って舐めている。富裕層からのおこぼれを頂戴している階層のささやかな贅沢。そこに乗り込んだロバートが、ジャムを盛ったスプーンをくすねてくるところが何ともせちがらい。

半世紀の間に地球上に起こった変化は、ロバートと同居人の老人ソルという世代の離れた2人の描写を通して、効果的に示されている。たとえば、ロバートが盗んできた食料で2人が食卓を囲むシーン。レタスをサラダにし、牛肉と玉ねぎでシチューをつくり、りんごをかじる。別にどうということのないメニューだが「本物を食べるのは何年振りだろう」と感激するソルと、「初めてだ」と使い慣れないフォークを操るロバート。

「ソイレント・グリーン」の秘密を知ったソルは、安楽死の施設で死を迎える。ベッドに横たわり、ベートーベンの交響曲『田園』を聴きながら彼が眺める映像は、まだ地球の資源から人間の食料を賄えていた頃の美しい自然の風景だ。ここでも、もはや失われた過去を懐かしむだけのソルと、見たことのない地球の映像に衝撃を受けるロバートの対比が描かれる。

「昔は良かった。まだ◯◯があった」という老人の繰り言を、◯◯を知らない若者はバカにしがちだが、それは「◯◯を代替しつつ◯◯を上回る優れたもの」が登場しているからこその話だろう。◯◯がかけがえのないものだったとわかった時には、もうすべてが手遅れなのである。

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文=大野左紀子

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