ホワイトロー博士:むずかしい質問です。人類学者にとっては人間のやることは何でも面白いのです。でも、日本に限ったことではない分野なら、「コンビニ」と「コンビニ化」に関連して注目されているものはいくつかあります。
標準化、工業化、資本主義化や商業化が暮らしやコミュニケーションに浸透してゆくにつれ、人々はこうした傾向に抵抗したり、拮抗したりするようななにかを求めるようになっています。
食文化や、職人的な慣習・工芸もそういったものでしょう。日本にはこれらの分野で豊かな歴史と生き生きとした伝統があります。ただ、食や工芸の「伝統」が固定的で不変のものだと考えることはかならずしも正しくありません。
実際、文化と同様、食や工芸も人間が作り出したものであり、したがって絶えず変化しているからです。このことはとくに食に関して顕著です。日本における「伝統的な」食べ物は、しばしば、「明らかに現代的」であったりします。コンビニのように、もともとは海外から伝わったものですが、歴史的には外部からの影響を受けて変遷していますよね。
──日本のコンビニと米国のコンビニで大きく違う点はなんでしょう。
ホワイトロー博士:私の研究対象は主に日本なので、アメリカのコンビニエンスストアの売上高や契約形態などにはあまり詳しくありません。でも、日本のコンビニ業界も非常に動的に変化していますね。
『トーキョー・トーテム 主観的東京ガイド/Tokyo Totem – A Guide to Tokyo』(2015年、フリックスタジオ刊)の出版以来、いろいろと変わりましたが、私が自分の担当章で指摘した傾向は変わりません。もちろん、人口動態の変化と高齢化が進む日本では、店舗側の「働き手」の風景や店舗のオーナー環境も進化しています。フランチャイズ制度は店舗を「成長」させ、複数店舗を所有することを奨励しています。
ローソンやセブン-イレブンのようなチェーンは、外国人労働力を積極的に育成したり、「グローバル人材」を求めたりしています。日本国内店舗の維持と、東南アジアをはじめとする海外市場拡大をにらんだ経営者育成、この2つの点で企業にとっては必要な施策です。
アメリカでもコンビニにとって移民の労働力は不可欠であり、この点で日本はようやくアメリカに「追いついた」といえるかもしれません。日本で起きていることは、しかし、多くの点でアメリカとはまったく異なるのではないでしょうか。