アート

2024.09.04 14:15

ハーバード大学文化人類学者が沼った「日本のコンビニ」、その魅力

コンビニでのバイト時代のホワイトロー博士(写真:本人提供)

コンビニは人類学者にとって「理想の舞台」

ホワイトロー博士:人類学者であることの2つ目の重要な側面は、観察し学んだことを、執筆や教育を通じて他者と共有するべき、ということです。人間は、他の人々と分かち合うことで、人々は、見知らぬ、遠く離れた、自分では気づかなかったかもしれない生活の意義を、ある時は批判的に考え、評価することができるのです。
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人類学研究の成果から、人は他人に対する認識、あるいは固定観念を変えるチャンスを得ることができます。新たな視野で、また一層高い意識と感受性で、自分を取り巻く世界を見るようになります。さらには、自分自身を見つめ直し、「なぜその行動をとるのか」という疑問を持つようにさえなるかもしれません。私はこういった理由から、現代社会では人類学的アプローチが従来以上に必要とされていると感じています。

ホワイトロー博士自身が描いた「コンビニ店内俯瞰図」『トーキョー・トーテム 主観的東京ガイド/Tokyo Totem – A Guide to Tokyo』(2015年、フリックスタジオ刊)より)https://www.amazon.co.jp/dp/4904894286/

ホワイトロー博士自身が描いた「コンビニ店内俯瞰図」『トーキョー・トーテム 主観的東京ガイド/Tokyo Totem – A Guide to Tokyo』(2015年、フリックスタジオ刊)より)

ホワイトロー博士:実はコンビニは人類学者である私にとって理想的な現場です。コンビニは非常に日常的で、どこにでもあり、どれも同じようなデザインで、とくに気にも留められない存在です。

性別、年齢、人種、階級、国籍に関係なく、あらゆる人が利用します。コンビニでの店員と客とのやりとりは短く、ビジネスライクで、文化的障壁もありません。あまり会話を介すことはなく、商品だけが流れていく。チェーン店は「成長」することを期待され、「商店街」は「シャッター街」になる。
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多くの点でコンビニエンスストアは「日本」と鮮やかな対極をなしているように見えます。人類学者にとって、ステレオタイプな「コンビニの在り方」と、コンビニで、あるいはコンビニを通して営まれる生活の意義──。それが、コンビニが文化研究、社会研究の重要な舞台である理由です。

コンビニは自動販売機ではない

ホワイトロー博士:コンビニは「jidohanbaiki(自動販売機)」ではありません。それどころか、大規模な世界的小売チェーンにつながるファミリービジネスです。経済、人口、社会の変化に対応するため、政府省庁や自治体も、「社会インフラ」としてのコンビニをますます頼りにしています。

世界中の産業経済やポスト産業経済が、日本と似たような課題に直面しています。現代のグローバルに相互接続された現代社会では、社会は世界共通の条件や圧力に対峙せざるを得ない。その条件を楽しむ術をすら、コンビニは提供します。人々が、住む街や日常生活でこういったグローバルな変化に対応するための方法も、コンビニは提供してくれると思います。

私にとってのコンビニは「成功」の物語でもなければ「文化の独自性」の研究でもありません。「文化とは常に変化するものだ」という事実を、コンビニは反映しているのです。それが重要なことです。コンビニは、日常生活の偶発性、争奪性、共犯性を正しく理解する手助けをしてくれるのです。

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取材・翻訳=石井節子

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