片岡:そうですね。加えて、アートの世界はより地域化していくと思います。いわゆるグローバリゼーションが崩壊していって、再びリージョナルなところに戻っていくのではないかと。例えば、今、欧米でブラック・アーティストが非常に注目されているのですが、それはやはり、カラードの人々が多く暮らす地域だからこそ。それをそのまま日本に持ってきても、地域性や歴史が違うため、やはりうまく当てはまらない。
4月24日から森美術館では、アフリカン・アメリカンのアーティスト、シアスター・ゲイツの日本初個展を開催していますが、彼はアメリカの公民権運動のスローガン「ブラック・イズ・ビューティフル」と日本の「民藝運動」を組み合わせた「アフロ民藝」というコンセプトを打ち立てています。アフリカン・アメリカンによる「美を通じた抵抗」をそのまま見せても日本には馴染まない。ブラック・カルチャーと日本文化を接続することで、日本でも伝わりやすい展示になります。
サイエンスとアートを繋ぐ
永田:そうしたブラック・カルチャーの伝わり方など、社会や人の動きに僕はとても興味があります。今でこそ、僕らのやっている投資は「ディープテック投資」として広く知られるようになりましたが、創業時は、まだほとんど誰もやっていなかった。当時から、「こういう世界になるべきだ」と言い続けていますが、自分の中にある真実に向かって走り続けていると、社会もそちらへ流れていくと信じています。世界には能動的に、また内面にエネルギーを持って前に進む人たちがいます。サイエンティストはもちろん、アントレプレナー、アーティストもそうですよね。
昨今、サイエンティストとアントレプレナーは近づいてきていますし、アートとビジネスも、「アート思考」を筆頭としたいくつかのキーワードで繋がっています。だからもっと、アートとサイエンスも近づいて良いのではないかと。それで一時期、「Mitaxis Class(ミタクシス・クラス)」という、サイエンスとアートが出会うことで生まれる表現を探るワークショップをやっていました。
片岡:アートとサイエンスといえば、昨年、森美術館20周年記念展として「ワールドクラスルーム」という展覧会をやったのですが、難しいと言われているアートを分かりやすく、広く一般に知ってもらうための試みとして、森美術館の現代アートコレクションを、国語・算数・理科・社会といった“科目”に振り分けて展示構成しました。そのときに気づいたのが、算数や理科には国境がないぞということ。いわゆる文系の科目が多様性を学んできたのに対し、マスマティックやサイエンスは人類が普遍性を求めてきた歴史であり、世界の未来を考える問いに対する切り口のひとつになるのではないかと思いました。
永田:たしかに、マスマティックやサイエンスは究極に非言語的で、すべての枠を越えられるものです。一方で、特に昨今の現代アートは言語的に高度化しすぎている部分もあるのかもしれません。そこに対するアンチテーゼがもっとあっても良いですよね。元来人間は、例えば身の回りの自然などを美しいと感じ、シンプルに感動することができる。注意書きや説明書きが少ないところにも面白さがあると思います。