この作品の興味深いところは、当時のしがない労働者や失業者など、どうにも浮かばれそうには見えない庶民の日常をひたすら撮り続けていることだ。英雄好きが本分である中国人からすれば対極にある、一見取るに足らない人々の生身の姿が、美化されることなく、次々と晒されていくのだ。
かつて筆者は2000年頃の瀋陽も何度か訪ねていたので、当時の鉄西区の街の様子や工場地区内の住環境を見知っており、作品にも登場する安食堂のような場所にも足を運んだことがあったのだが、まさかそのようなうらぶれた世界を、スクリーンを通して観ることになるとは思ってもいなかった。
それにしても、どうして王兵監督は『鉄西区』という作品で登場人物たちの生活の内部にこれほど深く入り込むことができたのだろうか。
人々はカメラの前で、まるで撮られていることに気づいていないかのように、涙を流し、怒り、笑っている。彼らはプライベートを晒すことの意味を訝しがることなく、監督の立会いを許していた。それはなぜなのか。
呆れるほど長回しの撮影を続ける王兵監督は常にカメラの背後にいたにもかかわらず、撮影される人々にとって透明な存在であり続けられたこと。彼の作品の驚くべきところは、そこにある。
「世界から見えない人たちの生」
今回の『青春』でもそれは基本的に同様である。われわれ海外の観客は、215分という長時間の作品を観ているうちに、最初は自分たちの生きる環境とは別世界の存在と思っていた登場人物たちが抱える生の感触が、フィクションとしてではなく、目の前でじかに起きていることのように感じられてくるのだ。それは日本在住の房満満監督が中国のLGBTの苦悩や親子の辛苦を描いたドキュメンタリー作品『出櫃(カミングアウト)中国LGBTの叫び』(2020年)の場合もそうだったように、中国ドキュメンタリーに特徴的な、被写体と観客の距離を消失させ、橋渡しをしてくれるような奇跡的な映像との出会いをもたらしている。
すでに多くの識者が語っているように、王兵監督は英雄の物語ではなく、「世界から見えない人たちの生を記録すること」、すなわち中国の発展から置いてきぼりを食った人々の日常のシーンをつないでいくことで、中国の歴史の壮大な一部を叙述していくという手法をとってきた。
『鉄西区』ほど大がかりで、明快なパースペクティブではないかもしれないが、今日の中国の経済発展を真に支えてきたのは農民工という「世界から見えない人たちの生」であり、彼らの存在こそが中国の歴史そのものなのだという深淵な認識が存在している。
それは、日増しに表現や思想の自由が失われていく今日の中国において、容赦なく突きつけられる政治的な解釈の網の目からすり抜けるうえでも有効な戦略と言えるかもしれない。だが、そこには人間のありようを真摯に見つめる“良心”のまなざしがあり、それは王兵監督ならではの歴史の語り方なのである。
『青春』
監督:ワン・ビン(王兵) 原題:「青春 春」 英語題:「YOUTH(SPRING)」 2023年 製作国フランス=ルクセンブルク=オランダ 上映時間215分