神戸にも「ガチ中華」はあるのだろうか。また中華街である南京町に「ガチ中華」の店は存在するのか。そういったことを知りたいというのが、南京町を訪問した理由だった。
午前11時頃に現地に着いた。最近は日本各地の観光地や行楽地で外国人客の姿が目立っているが、南京町では日本人観光客で通りはあふれていた。コロナ禍のさなかに訪ねた折は閑散としていたこの街も、いまでは以前のようなにぎわいを取り戻していたようだ。
神戸南京町の歴史を紐解く
横浜中華街に比べれば小規模だが、東西約200メートル、南北約110メートルの街区に多くの中華料理関係の飲食店や商店が集まっている。この神戸南京町は「食べ歩きグルメ」の街といっていい。多くの中華料理店が通りに連なっているが、特徴的なのは、店頭に露店が設営され、街全体が屋台街のような様相を呈していることだろう。では、南京町を訪れた観光客は何を「食べ歩き」しているのだろうか。
1915年(大正4年)創業の「老祥記」の豚まんを買い求める客たちの行列はいつもの見慣れた光景だ。あとは小籠包や蒸し餃子、チマキ、ニラ饅頭などの日本人もよく知る中華ファストフード(小吃)や、食べ歩き用に小型サイズのお椀に入った担担麺などの各種麺類、近年人気の台湾グルメで角煮バーガーの割包 (グァバオ)などだ。
でもよく見ると、韭菜盒子(中華風ニラタマゴ入りパイ)のような、いわゆる「ガチ中華」系のグルメに属する中国北方の小吃を売っている店もある。
店主に訪ねると「韭菜盒子を売っているのは南京町ではうちだけ」と得意げだ。それは彼の出自を物語っている。すなわち、店主は代々この地で中華料理を提供していた老華僑ではなく、1980年代以降に来日した新華僑なのだ。
1990年代中頃以降、南京町の店主たちは、戦前からこの地にいた老華僑から、中国の改革開放以降に出国した新華僑への世代交代が静かに進んでいる。それは店先で供される小吃を通じても、見てとれるのである。
神戸南京町の約150年の歴史を振り返ってみよう。以下の内容は、南京町の近くにある神戸華僑歴史博物館の展示解説を参考にまとめたものだ。
神戸に中国人の来日が始まったのは、1868(明治元)年の開港から。当初来たのは飲食店主ではなく、西洋人の使用人や召使いとして外国船に乗ってきた人たちで、洋服の仕立て屋や理髪店、雑貨商など、さまざまな職種だった。
その後、彼らの数は増え、西洋人居留地の西側の日本人との雑居が許された地域に住むようになり、その一角が南京町と呼ばれるようになる。こうして華僑社会が誕生し、中華街として徐々に発展していく。
大正時代に入ると、大衆向けの中華料理店が現れ始めた。1915年(大正4年)に開業したのが、先述の豚まんの「老祥記」で、日本最初の豚まん専門店だった。