髙木:GAKUがクリエイティブ寺子屋のモデルケースになるといいですね。
江﨑:僕も地方巡業をやりたいんですよね。東京で生まれ育った人は、子どものときから海外の一流アーティストを見る機会に恵まれています。でも僕のような地方出身者は、お金も時間もかけて東京に来て、やっとのことで海外アーティストを見る。もちろん感動します。でも、僕は地元でその感動を共有できる人がいませんでした。テクノロジーが進化した今でも、リアルな場でしか共有できない感動があると思います。なので、地方にいるであろう「あの時の自分」のために、地元でクリエイティブ人材の育成をしていきたい。
髙木:僕も将来的には美術館をつくって、「いい先輩」やいろんな人に出会える場所にしたいです。
津川:もちろんクリエイターの数は増やしたいけど、受け取り手の数も少ないと思いませんか?
武田:受け取り手も重要ですよね。例えば美術品は、作家がつくった作品に美術館やコレクターが価格をつけて初めて経済的価値が生まれます。作品を生み出しただけでは価値はつかない。文化事業は受け手のクリエイティビティによって育まれるんです。
髙木:僕の授業は、作品の価値を伝える方法を教えているので、ある意味「受け手」のための授業です。キュレーターは、自分の「好き」に対して責任をもたなければいけない。「好きに責任をもつ授業」のなかで、美術史だけでなく学生自身の個人史も考慮に入れながら、自分がどんなふうにその作品が好きなのかを紐解いています。
武田:大事ですよね。日本人は作家自身に作品の意味を聞きたがるけど、それをやった時点で、作家が生み出した以上の価値はつきません。自分の基準で価値を付けることができる受け手が何人も出てくると、その作品は作家の手を離れて価値が生まれるんですよね。
津川:クリエイティブの受け手側になる学生たちも、臆病にならずに主体的に自分の言葉を発することができるようになってほしい。そして、学生たちのアウトプットが専門領域に刻み込まれるような質になっていくと、面白くなりますね。