髙木:確かに、僕も学生のひとりになっているな。
少し年上の「先輩」の存在が鍵に
江﨑:あらためてクリエイティブ人材の育成に必要なものを考えると、学生でも先生でもない、その間のレイヤーにいる人の存在が大事だと思うんです。武田:とても大事だと思います。創造の「創」には「はじまり」の意味がありますが、絆創膏の「創」でもあります。ひとりで何かをはじめるとき、うまくいかなくて傷つく。途中で、創っているものが自分の理想とかけ離れていることに気づく。そういうときにできた傷にどう向き合うのか。10代のクリエイションにおけるメンタルヘルスのあり方は僕らの課題です。
GAKUではスタッフがメンターとなり、子どもたち一人ひとりに向き合ってサポートしています。そこは運営側としてやっていかなければいけないところだと強く思っています。
江﨑:以前、米国の大学生が日本の高校生に授業をするというプロジェクトに携わりました。そのとき大学生たちは、自分たちを先生ではなく「先輩」と呼ばせていました。それを見ていて、授業で先生から学ぶのと、先輩から学ぶのは全然違うなと思ったんです。
先輩のレイヤーを分厚くすれば、その上に乗る講師陣は誰でもよくなります。たとえ超巨匠が教えに来たとしても、その人と学生との間に先輩がいればいい。巨匠に恐縮しつつも、先輩にかみ砕いてもらいながらものを創っていくことができます。僕の授業でも時々キャリアの長いゲスト講師を呼びますが、そのときは僕が先輩の役割を担えるといいなと思っています。
髙木:学校教育の現場には、そうした先輩的な存在の大人がいないんですよね。美術館でも、ドーセントやメディエーターと呼ばれるアートとオーディエンスをつなぐ活動(企画展の展示内容を来館者に解説するなど)が増えているけれど、学校にはそういった機能がない。クリエイティブ人材を育てるうえでは、必要ですよね。僕自身もいい先輩であろうと、あらためて思いました。
僕は京都の田舎のほうの出身なのですが、近くに文化的施設がありませんでした。なので、そもそもクリエイションを学ぶ機会自体がなかった。コンビニのノリでGAKUが各都道府県にあればいいのに、と思います。