健康

2024.03.25 15:15

超高齢社会に求められる都市型医療とは 赤ひげ大賞の在宅ケア医に密着

督 あかり

病院を去るとき、院長だった黒岩さんのはなむけの言葉は「君は、どんな立場になっても、臨床現場から離れてはいけない。現場にこそ医療の真実がある」。亀井さんはその教えをずっと守っている。
 
医師で作家の鎌田實さんが率いる長野県の諏訪中央病院で内科主任医長を務めたころは、まだ緩和ケアの薬や技術が乏しかった。末期がんの患者の痛み、苦しみに対処できず、無力感を覚えて1カ月休職し、イギリスの世界初のホスピスで研修した。スキルの学習以上に印象的だったのは、病棟の回診時に患者さんを上からのぞき込んで話しかけようとしたら、研修指導医の白人女性に強くたしなめられたこと。必ずベッドサイドの椅子に腰かけ、目の高さを同じにして患者さんと会話することが「フラットな関係」の第一歩だと教えられた。
 
30代後半は、医師不足にあえぐ和歌山県白浜町で、半官半民の白浜はまゆう病院の立ち上げに従事。初代院長として「若さに任せて、急患も在宅も健診も、地域丸ごと診ていました」。
 
1994年、白浜はまゆう病院(和歌山県)に院長として赴任、まだ36歳だった

1994年、白浜はまゆう病院(和歌山県)に院長として赴任、まだ36歳だった

地元・名古屋で「在宅ケアセンター」や「在宅ホスピス」立ち上げ


出身地の名古屋に戻ったのが、2004年、47歳の時。副院長に就任したかわな病院は、53床の小規模病院で、生き残りのために高齢者施設、訪問看護ステーションなどの事業を拡大している時期だった。多忙な診療の合間を縫って、ライフワークの在宅医療や緩和ケアの機能強化に励んだ。在宅医療を始めたころはスタッフが足りず、自ら車を運転して患者宅に出向いた。
 
2018年に設立したかわな病院在宅ケアセンター

2018年に完成した、かわな病院在宅ケアセンター・オフィスはなみずき

法人の理事長になり、15年に立ち上げたのが、かわな病院在宅ケアセンター。在宅医療・介護関連の事業を統括し、病院とも有機的な連携ができるように心がけた。
 
かわな病院のエリアで整ってきた病院-在宅の連携を他の地域にも広げたいと、18年には自身の生まれ故郷でもある千種区覚王山に覚王山内科・在宅クリニックを開設し、今も週4回の外来を担う。

多職種の専門職が相談に乗るtomoniなごや

多職種の専門職が相談に乗るtomoniなごや

患者の状態に合わせ在宅ケア、外来、入院、施設ケアで総合的に支える『在宅ホスピスかわな』も同年に設立。専門のチームにより、常時約40人の患者をサポートしている。昨年には、同チームのメンバーや外部の専門職による電話・オンライン相談機関「NPO法人tomoniなごや」を立ち上げ、がん治療や緩和ケアに関する相談に、多職種で応じている。
 
患者ファーストを貫き、労を惜しまない姿が、赤ひげ大賞につながった。

授賞式は3月1日、東京で秋篠宮ご夫妻も出席して盛大に行われた。在野精神の旺盛な亀井さんには、晴れがましさと落ち着かなさも感じるセレモニーだった。挨拶では、家族への感謝とともに「あんな程度で赤ひげかと言われないように、これからも精進したい」と語った。
 
大賞の審査員には、岐阜大と佐賀医大の医学生たちも入っていて、パーティーの席で、その学生たちに伝えた言葉は「医学の狭い世界だけでなく、社会に関心を持って」「常に患者さんやご家族に寄り添い続けることを忘れないで」だった。

赤ひげ大賞で受賞スピーチする亀井さん=3月1日、パレスホテル東京で

赤ひげ大賞で受賞スピーチする亀井さん=3月1日、パレスホテル東京で

いまや「患者主体の医療」は、当たり前のスローガンのように使われているが、もともとは、学生運動で大学を追われた黒岩さんや鎌田さんらの社会運動として地方で広がった。黒岩さんらの思いを受け継いだ団体が「NPO地域共生を支える医療・介護・市民全国ネットワーク」で、昨年は名古屋で全国集会が開かれ、大会長を務めた亀井さんは「愛と平和がつくる地域共生社会」という大会テーマを掲げた。
 
差別と分断、地球温暖化、ウクライナ問題、新型コロナ......と、私たちの未来を危うくする問題があふれているが、個を大切にして、互いの違いを認め合い、多様性を包み込んでいくのが、共生社会。そんな思いを胸に、今日も慌ただしく往診に向かう。

赤ひげ大賞を受賞した亀井克典さん

赤ひげ大賞を受賞した亀井克典さん

文、写真=安藤明夫

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