そう語る伊藤さんは、まず、一流のリトリートホテルとなるため、いま向き合っているスリランカの崇高の種をハード面・ソフト面共に世界基準に磨き上げることを決めました。
その上で、Tagiru.を「新しい社会をつくる人たちの “Inspiration” になる場所」にしていきたいと語ります。単なるアーユルヴェーダ施設ではなく、伊藤さんが考える「生きること」への哲学や価値観を表現する場所にしていきたい。そのためには人との交流がキーになると、講座を通して気付いたそうです。
Tagiru.には、ゲストの半数がドイツ語圏からきているというユニークな事実があります。そこに面白さを感じている伊藤さんは、ホテル経営という視点ではなく、Tagiru.の文化的意味を深掘りするというアングルでコラボレーターを模索。「世界通史や古代史の研究者」、「ヨーロッパとアジアの両方の価値観を内在させている人」、「現代を生きる苦しみや幸福について語れる人」などを、ドイツ・スリランカ・日本のそれぞれの地域からピックアップされました。
伊藤さんが最終発表で「ビジネスを主語にしない勉強の場が良かった」と言っていたのも印象的でした。経営者のレンズを一旦はずした意見交換が、伊藤さんとTagiru.にとって自然な「崇高」のイメージを見つけることにつながったのかもしれません。
単にラグジュアリーにおける崇高というと、孤高で恐れ多い存在に聞こえがちですが、崇高が「さまざまな人が交流し、インスピレーションを生み出す場によってつくられる」としたときに、途端にこれからのラグジュアリーとして、腑に落ちた感覚がありました。
「わかりやすさ」の落とし穴を抜け出して、「一貫性と複雑性」や「崇高と交流」のように、一見相容れない要素がそれぞれのラグジュアリーを構成していることに気づいた。それが今シーズンにおける大切な発見だったように思います。安西さんは、ラグジュアリーと「わかりやすさ」の関係について、どのように思われますか?