1年目に配属されたのは、製鉄所の請負現場だった。鉄鋼は高熱と大きな音、粉塵の世界。ほこりまみれ汗まみれで働く現場に交じり、「男の世界でかっこいい」と憧れた。
次に移った工場で事件が起きた。鴻池運輸の社員が塗装のラインに入っていたが、塗装は他のラインに増して厳しい労働環境であるうえ、そもそも契約外の作業だった。「『うちの社員を契約外の現場で働かせるな』とお客様に文句を言いにいったんです。そしたらお客様がカンカンに。でも、社員の安全がかかっているからこっちも引くつもりはない。大きな現場でしたが、結局みんな引き上げさせました」
社員を大切に考える姿勢は会社を継いだ後も変わらなかった。同社は2013年に東証一部(現プライム)に上場している。ただ、上場準備を始めた頃は日経平均が9000円を切っており、資金調達という意味では時期が悪かった。また、そもそも同族経営であり、上場でオーナーシップが薄れるデメリットもある。それでも上場を進めたのは、「上場すれば世間の見る目が変わる。社員が誇りを持てる会社にしたかった」からだった。こうした思いが自然に現場に伝わり、ロイヤルティの高さに繋がっていったのだ。
コロナ禍の自粛生活で部屋を整理していたとき、鴻池家菩提寺の住職が揮毫した色紙を見つけた。そこには「知恩報恩」と書いてあった。依頼、玄関に飾って、社員に報いることを自分に言い聞かせている。
「請負や物流の現場は、非効率で賃金が低いところが多い。製鉄所のベルトコンベアのメンテナンス業務にドローンを採用したり、倉庫で無人フォークリフトの導入などを進めていますが、テクノロジーを活用すれば生産性はもっと高められます。2024年問題が控える物流は、社員の待遇改善が急務です。お客様とも値上げや荷待ち時間短縮などの交渉を進めたい。賃金2割アップが目標です」
社会が構造的な人手不足の時代に突入したことは、アフターコロナで明確になった。本当に恩に報いて社員の絆をキープし続けることができるのか。これからが正念場だ。
鴻池忠彦◎1953年生まれ。76年に関西学院大学商学部を卒業後、鴻池組に入社。81年に鴻池運輸へ入社し83年に常務取締役、2003年に代表取締役社長に就任。21年から現職。「運輸」の社名にこだわらない柔軟な経営が信条。