アート

2024.03.06

国立西洋美術館、65年目の自問。批判覚悟の「現代アート展」

竹村京《修復されたC.M.の1916年の睡蓮》(部分、制作過程) 2023-24年、釡糸、絹オーガンジー、カラープリント、作家蔵。

ビジネスとアートの接続が叫ばれて久しいが、そこで話題になるのはもっぱら現代アートである。しかし、過去があってこその今である。では、現代作家にとって、西洋美術、近代美術の価値とは? 美術館が自らその検証に乗り出した。


日本に、国立の施設として西洋美術のみを扱う美術館があることに違和感を覚えたことはあるだろうか。歴史や宗教の一端を担った重厚な作品、教科書に出てくるような名画が集まる場所は格式が高く、ともすれば“古臭い場所”かもしれない。

国立ではあるものの、その母体が、川崎造船所の初代社長・松方幸次郎が西洋を中心に買い集めた「松方コレクション」であることはよく知られている。20世紀初頭に「日本の画家に本物の西洋美術を見せたい」と尽力した企業家の想いが根底にあり、言い換えれば、日本のアーティストのため、その活動や作品を目にする“未来のため”に建てられたのが国立西洋美術館ということになる。

2007年からこの美術館に勤め、常設展の計画や調査研究を行う主任研究員の新藤淳には、ずっとその意識があった。しかし、託された想いが届いているかは、「現代アーティストを呼ばないと問えないのでは」と、10年近く前から考えていた。

欧米では近年、パリのオルセー美術館やロンドンのナショナルギャラリーなど、従来現代作品を扱わない美術館が現代アートを取り入れる動きが盛んになっている。現代の作品と並べることで、過去の名画に新たな光をあてる。現代アートをフックに、近代作品の鑑賞者の裾野を広げる。新藤も、2016-17年の「クラーナハ展」や2018-19年の「リヒター/クールベ」特別展示で現代アートを一部取り入れてきた。転機となったのは、2021年に就任した田中正之館長がそのリヒターの展示を「静かな試みだが、当館の在り方を押し広げるものかもしれない」と評価したことだ。そこから、今回の企画展がかたちづくられていった。

21組の現代アーティストとともに

3月12日から開催される企画展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?──国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」で、国立西洋美術館は史上初めて、大々的に現代アート作品を取り入れる。
左:梅津庸一《フロレアル─汚い光に混じった大きな花粉》2012-14年、油彩/パネル、角材、照明カバー、樹脂、吸水マット、照明機材用スタンド、ハンドクリーム容器、愛知県美術館。 右:辰野登恵子《WORK 89-P-13》1989年、油彩/カンヴァス、千葉市美術館。

左:梅津庸一《フロレアル─汚い光に混じった大きな花粉》2012-14年、油彩/パネル、角材、照明カバー、樹脂、吸水マット、照明機材用スタンド、ハンドクリーム容器、愛知県美術館。 右:辰野登恵子《WORK 89-P-13》1989年、油彩/カンヴァス、千葉市美術館。


堅い印象を受けるタイトルの背景にあるのは、西欧に「美術館」という制度が本格的に誕生した18世紀末に、ドイツの作家ノヴァーリスが残した「展示室は未来の世界が眠る部屋である。──未来の世界の歴史家、哲学者、そして芸術家はここに生まれ育ち──ここで自己形成し、この世界のために生きる」という言葉だ。

65周年という節目に、館設立の原点を見つめ直し、今を生きるアーティストに美術館の意義を問い、鑑賞者とともに考える。この企てに、日本で実験的な活動をしている21組の作家が参加する。そのほとんどが、新藤からの提案に「二つ返事で参加を決めてくれた」のだという。彼らは、美術館が所蔵する約6000点のなかから作品を選び、それをインスピレーション源に新作を制作、あるいは自らの既存作品と並置するなどして、新たな視点をもたらす。

これまで、この美術館における展示制作は基本的に「死者との対話」だった。コレクションをどう展示しても、亡くなっているアーティストが口を出すことはない。どんなに文献をあたろうと作家が返答してくれるわけもなく、「ダイアログのつもりが、モノローグに陥ってしまうことも少なくない」と新藤。その点、生きたアーティストとの対話は楽しいが、「会期が迫るにつれ、困難も増えてきている」と苦笑いを見せた。
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文=鈴木奈央 写真=若原瑞昌

この記事は 「Forbes JAPAN 2024年4月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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